読者の声(伝言板)
2002年の「声」
voice@rikuryo.or.jp
六稜WEBにご意見・ご感想をお寄せください。到着順に掲載させていただきます。
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塩浜二郎さん Sep.10,2002
先日ある検索エンジンを使い、小生の父(故、塩浜文雄)の名前をサーチしたところ『六稜会報Online』(No.30)に記事がでていることが分かりました。早速記事を追いかけたところ、45期の森島重勝様の書かれた「十三校舎新築のころ」に名前を上げていただいていました。実は10数年前父は他界しておりますが、こんな立派な頁に名前を乗せて頂いており、父の青春時代を垣間見たようで感激しました。御世話いただいている方々の努力は大変だと思います。ありがとうございます。
河渕清子(64期)さん Aug.5,2002
「107期初めての同期会」レポ−トを読ませていただきとても愉しい気分になりました。
母校の食堂でやったことも若者らしくって微笑ましい限り…。若い107期の同期会とは云え、私たち64期の同期会と何ら変わることない雰囲気が伝わって来るようで嬉しくなってしまいました(笑)。同期の仲間との会合は、何年経っても昔に帰って騒げるいいものですね。
壽榮松正信(74期)さん Jul.1,2002
楠本利郎(64期)様からの読者の声。私の名前が出ていて嬉しいですね。それもお褒めの言葉で、つい読者の声に出してしまいました。どうもありがとうございます。生まれも育ちも北野から徒歩圏内でしたので、十三やその近辺の取材には、そう労力をかけなくても仕上がります。出来るだけ新鮮な素材を、出来るだけ早くご提供したいと思いながら日々の雑用に紛れ、遅れがちになります。楽しみにしていただく読者の方が居られると言うことで、ますますがんばらなければと言う気持ちが沸いてきました。六稜WEBもオープン以来、そろそろ5年になりますが、皆さんの暖かい励ましで着実に育ってきました。今後とも、よろしくお願いします。
楠本利郎(64期)さん Jun.30,2002
WEB委員の皆さんの見事な活躍、心から感謝申し上げます。遅まきながらPCに挑戦し、同期の河渕清子さんを通じて、皆さんのご活躍を知りました。特に寿栄松正信氏の確かな腕前の数々の写真の虜になっています。岡山にいても十三に…否、北野の校庭に居る様な錯覚と懐かしさを感じ、せっせとブリントして眺めています。ご多忙でいらっしゃるとは存じますが、これからも他県に住むOBに母校のニュースを編集者の皆さんと共に届けてください。
楠本利郎(64期)さん Jun.24,2002
22日の写真として娘から北野校舎が姿を消したと転送されて来ました。文字通り昭和は遠く成りにけりですね。青春の6年間、様々な思い出と,多くの友情を育んでくれた重厚なタイル張りの校舎、これからも永遠にあのころの少年や少女の脳裏から消え去ることはないと思います。瓦礫の山と化した写真をみて、年寄り故か、大変センチになったエントツです。
芦田雅秋(42期)さん Jun.8,2002
第124回船場大阪を語る会の徳光さんの講演要旨のなかでシャリアピンを往年の世界的名テノール歌手として紹介されていますが、これは正しくはありません。氏はたしかに不世出の名歌手でしたが、テノールではなくバスでした。私も若年のころ、レコードで「蚤の歌」など氏の魅力的な歌声に陶酔したことを昨日のことのように鮮明に覚えています。
また、講演のなかでシャリアピン・ステーキの話が出てきましたが、インターネットで検索してみるとこんな説明にぶつかりました。参考のため紹介します。
『旧ソ連の著名な音楽家シャリアピンが帝国ホテルに泊まった際のこと。歯槽膿漏で歯を抜いてしまったシャリアピンの好物は牛肉、といっても厚いステーキなど口にはできません。超VIPのシャリアピンに、相当な神経を使ったニューグリルのシェフは、工夫に工夫を凝らして逸品を考案します。それは、牛のモモ肉を叩いて薄くのばし、スジを切って玉ねぎの絞り汁に漬け込み、それを焼いて、仕上げに別に炒めた玉ねぎをのせるという柔らかなステーキ。シャリアピンはこの料理に大喜びでした。以来、このステーキはシャリアピン・ステーキとして世界中に広まったのです』
どちらの説が正しいのか、勿論私には判りません。
※ご指摘ありがとうございます。確かにシャリアピンは「テノール」ではなく「バリトン(バス)」の誤りでした。早速、該当個所を訂正させていただきました。なお「シャリアピン・ステーキ」のほうの由来につきましては、諸説芬々ありそうだ…ということで編集部でも確認できませんでした。お許し下さい(編)
松田卓也(108期)さん May 24,2002
私が代表を務めるグローバルピース推進NGO「21zero」が本格的に動き出します。まだ発展途上ではありますが私たちのホームページwww.21zero.netをご覧ください。21zeroは「60億人チームプレーへのチャレンジ」をキーワードに、たくさんのプロジェクトを実践していきます。今後とも21zeroをどうぞよろしくお願いいたします。
吉川竹四郎(67期)さん Apr.24,2002
インターネットで碁会所KGS(棋聖堂囲碁サーバー)を開いています。同期会で母校に行った時、たまたま北野高校囲碁部の顧問をなさっている中島啓介先生(数学)にお目にかかれました。以下はその時の旅行記。
12時に、母校の取り壊し寸前の校舎に集まり、記念写真を撮ってから、プラザ大阪でパーティだった。いつものことながら神宅さんらの幹事に感謝する。今回は密かな、もうひとつの目的があった。インターネットの棋聖堂囲碁サーバーKGSと北野高校の囲碁部を結びつけることだ。昨年書いた『コンピュータ囲碁GREAT』を図書館に寄贈することを教頭先生が快く受けいれてくれ、鎌田先生(国語)の案内で囲碁クラブ顧問の中島啓介先生(数学)のところへ連れて行ってもらえた。
パソコンルームの見学は山仲と二人で行い、四十台のNECデスクトップが並んでいたが、インターネット接続は来年一月から可能と聞いた。最近の卒業生で舟橋君という打ち手がいるそうだ。
中島先生に郵便でパソコン少年を刺激する資料…
1)石田千代輔先生 のFibonatti TEXドキュメント2ページ
2)ナノピコ教室 東海道五十三次とトライアスロン
3)ナノピコ教室 麻雀と数当ゲーム
をお送りしたら、先生からも返事で次のように教えてくれました。
来年度以降、新カリキュラムで「情報」の受業が開講されるのですが「言語」は指導する予定はありません。しかし趣味でやっている生徒は多数いると思いますので機会を見て紹介しようと思っています。
ここ最近は、あまり強い生徒が入学してきません。どうも、中学時代は塾漬けのようで以前に比べ余裕がなくなって来ているように感じられます。囲碁も将棋も(数学も?)やればやるほど面白いものなのですがこの手の頭脳ゲームにハマっているひまがないようです。
山仲さんのメールでは「北野から天才的な囲碁少年が出るといいですね。」と激励をいただきました。
大森秀二(85期)さん Apr.10,2002
東京、渋谷で「69」という音楽プロダクションをやっています。来月よりPRASTIC-ROMANCEというアーティストがデビューします。今年のレコード大賞有力ですので注目してください!
岡本佳奈(103期)さん Mar.25,2002
先日、本当の偶然に大先輩でいらっしゃる64期の土井陽子さんが私の大好きなお芝居「夫婦善哉」の脚本を担当されていたと知り、非常に嬉しく思いました。本当に北野の卒業生には多彩な方がたくさんいらっしゃるのですね。他の方のページもいろいろと拝見致しました。
場違いで恐縮なのですが、http://binbin.room.ne.jp/rank/ にもありますように「夫婦善哉」の再演を望む声はたくさんあります。機会がありましたらぜひお願いしたいと思います。
松下 勝(99期)さん Mar.13,2002
いつも楽しくWEBを拝見させていただいております。とくに『われら六稜人』は、北野ならではの豪華な顔ぶれで、かつ中味もたいへん面白くいつも楽しみにしております。また折に触れ「WEB通信」がメールされてくるので、とても有難く感謝いたしております。
さて、本日は「六稜プレイガイド」の中でお知らせされております『笹部さくらコレクション2002年春季展「さ-kura さく-ra」』の招待券を希望いたしたく、メールさせていただきました。先着5組10名ということですが、もしまだ数に余りがございましたら1組お分けいただきたく存じます。どうぞ宜しくお願い致します。
※松下さん、一番乗りです!早速、ご住所宛にお送りいたしました(編)
青木美奈子(105期)さん Jan.30,2002
いつも六稜WEBを覗いては懐かしい気持ちになり、そして、また仕事などに励もうと思えます。どうも、ありがとうございます。私は今、テレビ東京に勤めております。もう既に、ご存知かもしれませんが、弊社の番組で、今週の土曜日(2月2日)夜9時の「出没!アド街ック天国」が十三を取り上げております。そこで、ランキング30位中3位に北野高校が登場します。
レギュラー出演者の1人、タレントの山田五郎氏も北野出身者です。3年間通いつづけた十三の街が様々なマニアックな視点で取り上げられてます。卒業生の皆さんにとって、とても、懐かしいと思います。ぜひご覧ください。
Last Update : Oct.1,2002