芝居の依頼を待つより自分の納得出来る小説を書いてみようと思い立ち、数年前から素材を探し始めました。刑場や墓地が天王寺村に移された後、猥雑な興行街へと変貌して行く明治の「千日前」が面白く、ここで松旭斎天一より腕が上と言われた中村一登久という奇術師を見つけ、その女房が舞台で目を射貫かれ、後質屋になったという2、3行にビビッと来、「キサ」と名づけたこの女を主人公に、「一徳」という人気の奇術師に惚れて「千日前」でけなげに生きた当時のワーキングウーマンを書いてみようと思いつきました。
脇に、道頓堀に敵愾心を燃やして千日前に「四千人劇場」とも囃された「横井座」をぶっ建てた実在の「横井勘市」を、キサを拾い上げハシリにこき使う、父親でもオトコでもない微妙な関わりの男として登場させることに。こうして私の孤独な小説著作が始動しました。
この小説にまつわる私にとっての不思議な出会いや経験もいくつかあって、お話してみましょう。
一心寺にある横井勘市のお墓。イラストは成瀬国晴さん (出典:『なにわ難波のかやくめし』より) |
◎勘市が刺された時担ぎ込まれた「明治医院」を、中央図書館で閲覧した明治16年だったかの古地図で見つけた時、体に寒いぼが立ちました。
出版記念パーティで呼びかけ人を お引き受けくださった米朝師匠 |
盆屋を知って私のテンションは急上昇。小説の後半が変わりました。オッチョコチョイの私は、何人かの人に「ぼんや、知ってますか?」と聞いてみて、けげんな顔に出会うとぞくぞくしました。中で、人間国宝・桂米朝師匠は「知ってまっせ。昭和になってもおましたで。行きましたがな。…打ち合わせで」
以後、私はますます師匠を敬愛するようになりました。
◎日本で初めて稲畑勝太郎がリヨン留学時の学友オーギュスト・リュミエール発明の映画を買い付けてミナミの南地演舞場で上映した話は、嬉しがりの私には大いに愉快で、キサが弟子の喜助に誘われて息子幸太と胸とどろかせて見に行くことにしました。
六稜同窓会長の稲畑勝雄さん(われら六稜人【第31回】所収)が、この勝太郎さんのお孫さんだと、出版後に知りました。
後にお目にかかる機会があり感激しましたが、その折の話に又びっくり。
大津でロシアの皇太子が巡査に切りつけられる「大津事件」を、キサが時事ネタがいいと奇術にちゃっかり取り入れると使いましたが、その時通訳をしたのは勝太郎さんだったそうです。
六稜六四会・川本晴男会長も 応援に駆けつけてくださった一人 |
※出版後、出版社気付で「キサ」というお名前の方からお便りをいただきました。「よみうりライフ」の私の取材記事で「キサ」という珍しい自分の名を目にし、驚いて図書館で読み、キサの生き様に感激したとあり、キサさんは四男五女の5番目の娘、両親は面倒くさくなったのか、母親のサキをひっくり返してキサと名づけられたとのこと。物心ついて以来自分の名前が大嫌いで、ひらがなに子を付けて「きさ子」と書いてみたりと苦労したが、この小説を読んで、すっかり「キサ」の名が好きになったというもの。
私はすっかり嬉しくなって、失礼だが、明治の珍名で出会ったが、キサという響きが自分の書きたい主人公にピタッと来て、ずっと心の中で大切に愛しんで育てて来た女性ですと返信をさし上げました。