★『いだてん一代』 1989年、露の五郎さんの「芸の五十年記念」の芝居脚本を依頼され、初めて戯曲『いだてん一代』を書き、ピッコロシアター、国立文楽劇場で上演しました。明治の文明開化をとの難しい依頼でしたが、三十石船の船頭だったが蒸気汽船の出現で陸に追われて人力車夫になった男を胸の中で育て上げ、この亀吉の泣き笑いの半生を描きました。芝居の終わりには市電が現れて人力車夫の危うい未来が透けて見えるという仕掛けです。 |
この芝居の上演に当たり、64期の才媛三銃士、北村芙佐子さん、中尾耀子さん、森武子さんが大いにおもしろがって後援会よろしく気勢を上げてくださり、彼女たちの濃く広い人脈網を駆使して「北野」の先輩から後輩までの同窓生に観劇を呼びかけてくれることになりました。
この会の名称は、「後援」はヤボやから妖しく「紅艶」、「会」はしょうもないよって、当時爽やかに売り出して来ていた「少年隊」にあやかって若々しく「隊」をいただき『紅艶隊』という怖いような名乗りを上げたんです。中尾耀子さんが思わず観たくなるような面白い宣伝文を書き、北村さんの夫君、幸一氏がセンスよくレイアウトしてくださって、『紅艶情報』を作成、あらん限りの同窓の皆さんに郵送してくださいました。
恐縮する私に「楽しんでるだけ。あんたはダシの素やから気にせんとき」と優しい配慮を見せてくれ、結果として、国立文楽劇場のロビー、客席に溢れる六稜の懐かしい面々。その雰囲気に、演出の松竹の中川常務(当時)が「ええお客さんや!」と感嘆の声を上げました。
ただし、その頃、同窓と言えども当の私は殆どよく知らない人たちで、嫌でも青春の空白が露呈したわけです。こんな後ろ盾のお陰もあって、この作品で第18回秋田實賞を頂いてしまい、大いに弾みになりました。受賞が決まると「紅艶隊」が働きかけて、64会事務局長の岩田江一さんたちが、賑やかな受賞記念会をヒルトンホテルで開催してくださって感激しました。
こうして、その後のモノ書き人生に、いつも「北野」が優しく、力強く寄り添ってくれているんです。
★『源氏・マイラブ』 これは、オレンジルーム(今のヘップホール)などで上演しましたが、当然平安貴族を描いた物語ですが、源氏の君を三枚目にし、紫の上、明石の上のほかに、疫病が流行り、盗賊が横行する西の京に現れた「夢虫(蝶の別名の古語)」という名の女盗賊を創り出しました。 男が女の許を訪れる通い婚の中、「夢虫」だけは自分の気の向いた時に源氏の前に現れる仕組みにしました。 |
★『あぶないロマンス』 1991年、藤山寛美さん亡き後の新生松竹新喜劇旗揚げ公演4本の演目で、唯一の新作が私の『あぶないロマンス』でした。 当時登場しだした宅配業者を取り上げ、花嫁を宅配する話にしました。この後、宅配が日本中を席捲し、テレビドラマでもよく見かけるようになりましたが、素材キャッチの早さがちょい自慢です。 |
★『日本橋』 東京で制作。有名な泉鏡花の原作を今の感覚で書き直し、全国で上演しました。お孝(淡島千景)と清葉(江波杏子)の芸者が主人公。森武子さんが動いてくれて、「紅艶隊」と一緒に上京。故美川英二さん、山下祐雄さん(残念なことに私は学生時代のお二方を知らないなんて)が、それぞれ芸者さんを取材する労をとってくださり、終了後、何人かの64期の人々がホテルのバーに集まって楽しい一夕を過ごしました。 淡島さんや江波さんがステキだったのにも、この取材のお陰を蒙っていると感謝しています。 |
★ 『夫婦善哉』 ご存じ織田作之助の原作があり、先輩森繁さんと淡島さんの有名すぎる映画がありますよね。そこへ亡夫土井行夫の2本立て用で少し短いものですが、評価の高かった脚本がありました。これを一晩芝居で、林与一さん、藤山直美さんに書くのは大変でした。 維康商店を勘当された柳吉に心底惚れて芸者から仲居になって尽くす蝶子の話ですが、最後が問題。今までのものは、すべてほんまもんの夫婦に納まって終わります。私は柳吉の性根が真から変わるとは思われず、先妻の娘から結婚式に誘われ、幸せ一杯でやっとほんまもんの夫婦になれたと喜ぶその場で、下手から無言で通り過ぎる粋筋の女に目顔で合図する柳吉。 | ||
柳吉の幼児性と色っぽさを出したつもりです。襟巻きが二人の絆に見えたという新聞の評にしびれました。お陰で南座、中座、東京新橋演舞場とたくさんのお客さまにご覧いただきました。 |
★ 『大原御幸異聞』 神戸のジーベックホールでのたった1回の公演でしたが、不思議な趣に仕上がりました。謡曲「大原御幸」を解説するということで、小鼓方の久田舜一郎さんから依頼されたんです。元のお能は、大原の寂光院で亡夫高倉天皇や幼くして壇ノ浦に沈んだわが息子安徳天皇の菩提を弔っている建礼門院を御白河法王が訪ねて、壇ノ浦での戦の話などして帰って行くというもの。 |
何せ、出演者が観世流の久田勘鴎さん、上田拓司さん、関西芸術座の亀井賢二さんの3人だけ。どうして引き受けたのか自分を呪いました。やけっぱちの思いつきで自分の心に残る1本になった仕掛けをお話しますと、「大原御幸」の謡曲の中の「賎が爪木の斧の音」に大原の静寂を感じるとともに樵なら舞台に出せると考えました。
建礼門院と御白河法皇は能様式のまま、建礼門院の美しさに惚れてつかず離れずに山をさまよう樵のセリフは現代語で、時代背景、妖しい人間関係を能に慣れない人にもよく分かるようにし、1つの舞台空間に2つの次元が不思議に絡まる仕掛けです。最後に樵の独白で分かるのですが、彼は壇ノ浦で沈む建礼門院を熊手で助け上げた渡辺源五右馬允眤【わたなべのげんごむまのじょうむつる】で、これは「平家物語」を慌てて斜め読みして私のインスピレーションにピシッと来たキャラです。建礼門院を忘れられず、名前も身分も捨てて彷徨う男に仕立てました。こんな男が実在するかは疑問ですが、女性のお客さまから「あの樵、ええわぁ」と言ってもらいました。渡辺家の御子孫から叱られそうですが、いつもながら虚実ないまぜのお話です。