作家仲間とブリュージュにて(1987年10月) |
数日後、その藤田さんから電話がかかって来たんや。「すまんけど、私の持ってる人形…お宅の樹脂で作ってくれませんか?25体ほど」驚いたね。ちょっとだけしか見せへんかったんやで。でも、それだけ見て衝撃受けたんやろな。「こんな美しい顔を作る人や…この人に人形やらせたら、ものすごいええ顔作るんちゃうか」そう思いはったんやろな。
「よろし、よろし。かまへん。何でもやりますよ」それで作ってあげたんや。そしたら代金くれへんのよ。その代わりにヨーロッパ旅行をさしあげます。「一緒に行ってください」言うんや。現物支給というやっちゃ(笑)。それで、オランダのシェーフェニンヘンという町に行くことになった。アムステルダムよりもまだ北の港町や。昭和62年(1987)の10月のことやった。それが、初めて世界人形会議に参加することになった契機やった。
だいたい2週間近くかな。ボウズに暗唱させられた英語力が、通訳として随分役に立ったんや。重宝したで。人形好きの人が4〜5人のグループになって、ドイツやらスイスやらあちこち小旅行するわけ。いろんなとこへ行ったよ。わしは全部行った。
工房へいらっしゃい… (写真は奥さんの美英子さん) |
それに、いろんな出会いも得られた。今でも人形の目玉はドイツの職人に注文してるんや。装身具のマイスターでな。ろくに学問は積んでないんやけど、世界一の腕前や。目の前でこさえよるんや。息をぷぅーと吹きこんでな。神業を見る思いやった。名人芸やな。
彼とも世界人形会議で3回くらい会うた。ドイツ語やし、職人のべらんめぇ言葉らしくて、なかなか分からへんねん。時々、国際電話かけてきよんねんけど、これがまた分からん。はははは。マールブルクという古い大学町に住んどるねん。「ええ町や」言うて故郷の自慢、自画自賛するんや。ドイツ語でな(笑)。
しかし、電子メールをやり始めて便利になった。この間も、人形の材料を仕入れにアメリカに行ってきたんやけど、信頼のおける業者と一回打ち合わせしといたら、あとの連絡は全部メールでやれるからね。
一回対面で会う…というのは大事なんやで。スイスのルツェルンにあるティファニー・アンティークドール・ギャラリーで個展した時もな。初めのうちは「コンドー、コンドー」って呼び捨てや。それが専門家のバイヤーにこぞって賞賛されてからは「ムッシュ・コンドウ」に変わったからな(笑)。手のひら返したようにな。はははは。
日本でも、横浜、名古屋、大阪、広島…と各地のデパートで展示会をすると、飛ぶように売れたんや。今から考えると、その頃の初期の人形の顔は、われながら稚拙なもんやった。しかしね、それがものすごい売れた。その当時ね。