結局、借金返すのに10年かかったよ。兄弟が寄り集まって一生懸命やってな。当面食い繋がなアカンから、いろんな仕事に手出して。一時はくず屋なんかもやった。ゴルフ場を回ったりすると古いバッテリーがあんねんな。それを二束三文のタダみたいな値段で回収してきてやで、再生するわけや。そういう業者があんねん。そこへ持って行く。そしたら結構ええ値で売れんねん。そんな仕事も何年かやった。食うためだけに金を稼ぐなんて何としょうもない…これはもう人生の浪費や。絶対やめたほうがいい。その時からわしは確信してたんかも知れん。
結論としては、バッテリーの販売なんかでは儲からへん。何か他の商売をせなアカン。それで、いろいろ考えてな。スタッドウェルデイングという…高速道路とか橋げたなんかでよく見るでしょ。こんな太いボルト。あれをスパっと1秒で溶接する…そういう仕事があるねん。それを始めたんや。これは儲かったよ。当時はあちこちで高速道路の需要があったからね。
今でも高速道路の継手をやってる。毎日何万台の車が通るからね。ジョイント部の継手が結構、傷むんやな。今はその仕事をやっとる。公団の仕事やから切れへんねんな。無くなることがない。弟がその会社をやっとんねん。
昭和52年(1977)にな。わしも50歳過ぎたわけや。これからの人生について考えたよ。自分の人生を金儲けだけに消耗してしもてええのか、と。もちろんそれで満足しとる奴もおるし、悪いことやないよ。そやけど少なくともわしはそれだけでは満足でけへんかったんや。結局「わしは他の道を選びたい」ちゅうて、会社と袂を分かつことにした。老いてなお人生の一大決心やな(笑)。
それからが苦労の始まりや。いきなり1本どっこで食うて行こう思うたらね。「赤貧洗うがごとし」や。いや、もっと厳しいよ。どん底や。それまで100万円ぐらい貰ろてた月給を一番最低の7万ぐらいにしてやで。社会保険が認めてくれる最低の金額や。これがギリギリの線。それでも信念の道やから辛い思たことがないよ。
天賦の才能と言うとおこがましいけど、作品は何の苦労もなくできたよ。レリーフでも彫刻でもね。あちこちからお声がかかって「べっぴんの顔こさえてくれへんか」「よしゃよしゃ」言うて。ちょっと2時間くらい働いただけで、もう10万円くらいくれるわけや、美しいから。何でそんな美しい顔が出来るのか自分でもわからへん。その時はね。「あんた天才や」言う人もいて、自分でも不思議なんやけど、何も考えへん時ほど、いい表情のものが出来上がるんやな。無心いうんかな。勝手に自動的に出来てんねん。わしは何も考えもせんと。
小学校の卒業記念にPTAが像を寄付したい言う注文があって。男の子と女の子、それぞれ11歳か12歳くらいやね。それくらいの子を作ってくれ言われて。ものの2時間くらいかな。あっという間にできてしまう。そら、見てる人はびっくりするわな。「天才や」と。そやけど、わしにしてみたら自動的に出来あがっとんねやから。ぴったり11歳くらいの顔や。不思議でしゃあない。
考えてみたら悔しいことでもある。狙った時よりも、何も考えてない時のほうが出来がええねんから(笑)。今から振り返ってみるとね。どうもあの時から神さんが働きだしてる気がするねん。
57、58歳の頃かな。わし、あらゆる執着を捨てたんや。金も名誉も物欲も…ありとあらゆる執着を捨てて「もう、やめや。あれもこれも何もいらん」そう思うた。聖書にそういう言葉があんねん。「すべてを捨てて自分の十字架だけ背負って私に付いてきなさい」イエスの言葉でな。「十字架」いうのは、つまり「業」(ごう)やね。カルマや。人間には前世から背負ってる業があるねん。キリスト教で言うところの「原罪」や。元々の罪ちゅうん奴やな。そんなんを「すべて捨てよ」というわけや。
執着を捨てるいうことは、そら大変なことや。女の人にはできんやろな。非常に難しいと思う。男やからこそ出来るんかも知れん。それで捨てたもんの何倍かが今返ってきてるわけや。何倍にもなって返ってくる。
努力は素晴しいことや。否定するわけやない。でもね。時に人間の力以上のものが必要になってくるシーンがね。長年ずっと「ものづくり」に携わっていると、そう感じることが多いよ。「こら、ナンボ努力してもアカンわ、かなわん…」そう思うて神さんに任しんたよ。
「これは俺がやったんや。俺は能力があるんだ」と思ったらこれが間違い。自分の力ではないよ。謙虚にね、してることが大事や。そういう、ある種の霊力というかね。そういうもんを、わしは還暦を前にして感じたんや。