Salut! ハイジの国から【第3話】 まえ 初めに戻る つぎ

今だから笑って話せる、暗い過去シリーズ


▲辛いこともあったけど…
ヌーシャテル城にて

 
休暇後、私はヌーシャテル市のフランス語学校に通い、市内で自炊していました。週末ごとに彼と一緒に家族の家に泊まっていましたが、タダ飯食いを恥じた私がお菓子の包みや親から送ってもらった日本製品を持っていくと、「何も持ってこないで。貴方が来てくれるだけでいいの」……「家族が選んだ人は家族も同然」という考え方、そして見返りを決して期待せず、ごく自然に相手を思いやる真心……スイスで見えた最初の景色でした。

家族に恵まれてはいても、スイス生活はいつも「バラ色」というわけではありませんでした。言葉の不自由さから臆病になった私は一人暮らしを始めた途端、様々な困難に陥りました。下宿のおばさんに「部屋代を安くしてあげるから日本製品をちょうだい。親から送ってもらってよ。あれとこれと……」と要求され、引越しが面倒臭い上、当時、人生最大の極貧生活中だったという弱みもあり、つい従ってしまったこと。国籍目当てでスイス男性とくっついている卑しい女だと中傷されても落ち込むばかりで自分の気持ちや立場をきちんと説明出来なかったこと……。 あの頃の悔しい思い出は今でも忘れません。

三ヵ月後、初歩コースを終え、少しは会話が出来るようになりましたが、心は晴れるどころか曇るばかり。旅行者としての滞在期限が切れた私は立派な「不法滞在者」。更に三ヶ月スイスに居ようと目論む私の生活上、大きな枷(かせ)になりました。彼の就職先である人口数百人の小さな村の貸家に移り住みましたが、外出もビクビク。村の人間が密告して逮捕され、国外退去になったらどうしよう。二度とスイスに戻れない!

彼に会えなくなってしまう!

妄想は広がり、悩み続け、家に閉じこもりがちになってしまいました(警察当局が特にマークする人間は不法就労の外国人や麻薬ディーラーであり、 ただ休暇でぼんやり滞在しているだけの私に構う時間など無かったのでしょうがが……今思えば)。

冷静に考えれば、三ヶ月も脅えて過ごすよりは帰国してまたスイスに戻ってくれば良かったのですが、一分でも長く彼と一緒にいてお互いの気持ちを確かめ合いたかったこと、スイスと日本を頻繁に往復するお金も無かったことで、「夏休みに彼と一緒に日本に行って両親に紹介する」という予定一本に絞っていました。

人目を忍んだ外出ばかりしていた私が村で唯一、心許せた人間は郵便局の人達だけでした(彼らの前ではスイスに休暇で来たばかり、という振りをしていた私)。国際電話も超割高で、ネットも無い時代、せっせと手紙を書いて送り、郵便受けを覗いては一喜一憂する毎日でした。局長さんは私の書いた宛先(日本語)を「どっちから読むの?右から? 左から?」と面白そうに眺め、「出身地(大阪府)の人口は?」と聞くので「800万人ぐらい」と答えたら想像もつかなかったようで、「そうか、この村よりずっと少ないね」とやけくそに言って大笑いしていました(スイス連邦全体の人口でも700万人ほどです)。

 
Roger、初めて日本の土を踏む▲
大阪の蒸し暑さに驚く(1992年)

その夏、私はほぼ10ヶ月ぶりに日本の土を踏み、両親に「婚約者」として恋人を紹介します。最初は結婚に反対だった親も彼を見て安心したのか、認めてくれるようになりました。ヨーロッパから初めて出た彼は時差ぼけと湿気に参っていましたが、それでも毎日外出して観光やスポーツを楽しんでいました。

その後、彼はスイスに戻って三週間の兵役につき、私は大阪に残って結婚に必要な書類を揃えに走り回ります。フランス語コースも受講し、充実した毎日でしたが、夜、ふと一人になると、彼のみならず優しい家族の顔や思い出が過ぎりました。「スイスに戻って皆に会いたい!」そう思うと涙が零れました。こうして自分の気持ちを確かめた三週間でした。

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Last Update: Jan.23,2004