8月半ば。湿気王国・大阪から帰ってきて、気温差に震え上がることもあるが、晴天が広がればしめたもの。故郷シックに陥らず、楽しいジュラ生活が再開する。
8月15日は、カトリック州のみが休日、聖母被昇天祭である。この日の朝、ポラントリュイでは、聖職者達と参列者が、普段は聖ピエール教会に安置されている聖母子像をかつぎ、駅の裏手からロレットチャペルまで行進する。
06年の聖母被昇天祭は、とりわけ魅力的であった。というのは、当時の司教・ジャン=マリー・ヌスバウムさんが、バチカンと懇意の仲であったということもあり、ジュラ出身の新旧スイス傭兵が、特別に、祭りに参列したからだ。普段、バチカンに行かない限りは、せいぜいテレビの中で見るぐらいだった傭兵さん達を間近で見て大感激。勿論、ミサ後に話しかけに行くことも忘れなかった!
この後、ジュラの「熱い」夏は、8月末にムーチェ市と1年交代で開かれるブラッデリーという大きな祭りで終幕する。6月頃から各週末、各市町村単位で行われていた中小規模の祭りも、この頃には尽きる。冷たい季節の到来と共に、人々の心は身も心も冬に向かっていく…。
11月1日、やはりカトリック州のみ休日の「諸聖人の大祝日」。この祝日のフランス語訳である「Toussaint」は、「全聖人」というような意味であるが、一般家庭にとっては、聖人というよりは各々の先祖を供養する日になっている。我が家では、夫の父母の家に行き、祖父母の墓参りをすることが多い。
これといった陽気な行事もなく、何となく湿っぽい気分になりそうな11月であるが、ポラントリュイを中心とするアジョワ地方は違う。そう、豚を食べて食べて食べまくる祭り、聖マルタン(サン・マルタン)祭りが近づくからである!
村々では豚の屠殺、そして豚肉食品作りが始まり、その様子がテレビで放映されたりする。サン・マルタンの独特な騒ぎ具合は第47話スイスグルメ話~アジョワ名物編で書いたので、ここでは繰り返さない。ちなみに、この文章は11月末に執筆を始めたが、その2週間前も、豚肉コース料理全7品を平らげながら、踊り歌い狂った筆者である。
豚祭りが終わり、12月に入ると、町全体がイルミネーションで彩られ始め、子供達には一年に一度の楽しみがある。
12月6日。日本では12月24日の夜にやって来るサンタクロースの方が一般的だが、スイスでは、サンタクロースの原型と言われる聖ニコラ(サン・ニコラ)がやって来る日である。
聖ニコラは聖人には珍しく、殉教せずに天寿を全うした。肉屋にさらわれ塩漬けにされていた子供を復活させたり、貧しい娘に持参金を恵んだりした、という ような伝説から、子供の守護聖人、そして彼の死んだ日、すなわち12月6日にプレゼントを持ってくる聖人として親しまれるようになった。
私の娘達も、幼い頃は信じていたものである。ボランティアでサン・ニコラの扮装をして子供達を訪ね歩いてくれる女性(!)にプレゼントを言付けて訪問を お願いしたこともある。また、町のデパートでは、聖ニコラの握手会もある。こういうイベントでは、ピーナッツやみかん、チョコレートという「三点セッ ト」(第50話~クリスマス編その1を参照)をくれたりする。
しかしながら、サン・ニコラに会うことは、子供達の修業の一環でもある。なぜなら、彼は一人ではやって来ず、「鞭打ちじいさん」と呼ばれる全身黒装束の 男を伴っており、良い子でなければ彼が持っている藁の鞭で打たれると言われている。(注・勿論、実際に子供を傷つけたりはしないが)陰気な黒尽くめの男が 藁を片手に傍で立っているのを見つけた途端、小さな子は震え上がり、プレゼントをもらうのも忘れて泣きじゃくるのである。
各市町村ではこぞってコーラスやミサ曲などのコンサートが行われたり、クリスマス市も(ポラントリュイは小さいながら)立つ。こう書き連ねてみると、何だ、冬もそう陰気じゃないどころか、楽しくわくわくするようなことが一杯じゃないかと元気になってくる。
去年はホワイトクリスマスだったが、今年はどうか。スイスにしては異常とも思えるほど暖かな秋が続いた後、冬になってもまだ肌を刺すような日はめったにない。この暖冬が続くのか、それともいきなりドカ雪が降るのか。優秀な天気予報官と神のみぞ知るの