オランダから見たドイツ《3》研究所と言語 (2008年3月24日)

2008年3月24日


フラウンホーファー太陽エネルギー研究所
▲フラウンホーファー太陽エネルギー研究所

初めて「欧州の研究所に転職したい」と考えたときの第一の志望先は、ドイツのフライブルグ市にある、フラウンホーファー太陽エネルギー研究所 (Fraunhofer-ISE)だった。当時欧州では最も顕著な成果を上げており、多くの研究スタッフ・大学院生を抱え、かつ、研究所の建物も新設して間がなく魅力的な研究環境だった。
折りしもドイツは国家として太陽エネルギー利用に大きく転換した頃で(第4話および第17話参照)、その研究所も拡大基調にあった。また、ものごとが比較的ゆっくりと変化する欧州にあって、1990年の国家再統一以来、変化の荒波にさらされるドイツを見ていると、なんとなく心に沸き立つものがあった。
筆者には他にもドイツに惹かれる理由があった。中学時代にベートーベン「第九」合唱団に入団し、ドイツ語の発音方法を覚えた。大学ではドイツ語が第二外 国語で、初めての海外旅行は3週間のオーストリア旅行だった。大学院の入試以来ドイツ語の勉強はしていなかったが、必要とあればドイツ語を勉強する気持ち はあった。とても意思疎通ができるレベルではなかったが。

ドイツ・フライブルグ市
▲ドイツ・フライブルグ市
ドイツ南西部、黒い森の端に位置し、
およそ900年の歴史をもつ人口約19万人の都市。
環境政策で先進的な都市としても知られている。

Fraunhofer-ISEの結晶シリコン太陽電池グループリーダーの教授とは、それまで学会などで何度か話をして、お互い知り合う仲だった。2004年4月末、教授の部下としてプロジェクトリーダーができるポジションに着きたいという手紙を、履歴書を添えて送った。
数日後にやってきた返信には、応募への謝意が述べられていたが、非常に丁重に、貴方に用意できるポジションはない、と記されていた。ダメで元々、とは 思っていたが、やはりこの返信は心に突き刺さった。ちょうどドイツが太陽エネルギーへ大きく政策転換した時期であり、自分のような経験を持った人材を間違 いなく求めていることへの自信があっただけに、残念な気持ちは強かった。
一方で、ECNへの就職プロセスは順調に進み、ヨーロッパの太陽電池業界で働く様々な人と知り合うにつれて、ドイツの研究所の事情が次第にわかるようになってきた。

近代的なベルリン中央駅(2006年初頭に完成)
▲近代的なベルリン中央駅(2006年初頭に完成)

日本を訪問したり、国際会議に出席して発表をするようなヨーロッパ人たちは、みな流暢な英語を使う。筆者は、英語で円滑に意思疎通ができさえすれば、ヨーロッパで研究職を得るための言葉の関門は突破できると思っていたが、コトはそう甘くはなかった。
Fraunhofer-ISEが筆者にポジションを用意できなかったのは、ドイツ語で会話ができない、というのが一番大きな理由だったらしい。もちろん 直接聞いたわけではないが、彼らの陣容に詳しくなるにつれ、常勤スタッフはほとんどがドイツ系の名前で、非ドイツ系がいたとしても、皆ドイツで高等教育を 受けていたことがわかってきた。大学院生やポスドク(期限付き研究員)のレベルならドイツ語が未熟でも受け入れているようだが、筆者の希望はポスドクでは なかった。ドイツ語での意思疎通が十分でない人間を常勤スタッフに雇う程には、所内に英語が浸透していなかったのである。

ベルリンの壁とテレビ塔
▲ベルリンの壁とテレビ塔
国内を分断する「政治の壁」は崩壊したが…
「言葉の壁」は厚いようだ。

ときに、新技術の研究は個人プレーでも可能と思われがちだが、結晶シリコン太陽電池の研究は、一人で実験室にこもっておれば成果が出るような段階ではな い。いくつかの中規模な実験装置を使い、それらを状態よく管理する技官(Technician)と十分に意思を疎通させなければ、自分のアイデアを具現化 することはできない。複数のアイデアの組み合わせを実現するには、研究チームのリーダーとして、メンバーに働きかけながら研究を進めていかなければならな い。さらに、所内の他部門や協力業者との交渉で、周辺の多様な人たちとの意思疎通が必要になってくる。
一般に、ドイツの研究所では、外国に頻繁に出かける研究者は別として、ドイツ国内での業務がメインのこれら周辺の協力者(特に技官たち)は、英語があま り上手ではない。ほとんど英語を使えないことも珍しくない。ドイツ語で意思疎通ができない研究者は、十分な実力を発揮できないだろう。
いま改めて考え直すと、そういう状況を知りもしないで履歴書を送りつけた筆者の、何と厚かましかったことか。しかもドイツ語力に関しては何の記述もない 上に、履歴書に書けるほどのドイツ語力すらない。ストレートにポジションがないことを伝え、筆者に不必要な期待を抱かせようとしなかった件の教授は、実に 寛大で賢明な判断をしてくれたことになる。

観光案内板と交通標識
▲4カ国語並記の観光案内板(右)
オランダ語以外に、英語、
独語、仏語が並記されている
これに対し、自国内の通常の交通標識(左)は
ほとんどが「オランダ語のみ」の表記である
 

さて、一方のECNである。結晶シリコン太陽電池の研究は、多くの協力者とコミュニケーションを取りながら研究を進めていかなければならないのはオラン ダでも同じだが、ここでは同僚の研究者や技官、他部門のスタッフ、協力業者、みな英語でのコミュニケーションにほとんど問題はない。正直言って「話す」 「聴く」については、筆者のレベルが最低である。仕事で英語の文章を書く必要のないスタッフの中には、書くのが苦手というのも少しはいるが、話すのは平気 だし、筆者のかなりヒドイ英語でもきっちり意図を汲み取ってくれる。
オランダ語の文書を読んだり、オランダ語で用意された書式に記入しなければいけないことも時にはあるが、こちらからのアウトプットは100%英語で構わない。オランダ語が理解できたほうが便利なことは便利だが、理解できなくとも仕事に大きな支障はないのだ。

聞くところによると、オランダという国は、英語を公用語としない国の中で、国民の英語浸透力は世界一だそうである。ECNが筆者の採用を検討した際、オ ランダ語力を全く問題にしなかったおかげで、こうして今ヨーロッパで研究リーダーとしての経験を積ませてもらっている。英語圏以外の国では、実は珍しい ケースだったのかも知れない。