太陽電池と「低い国」と〜民間企業研究者の海外転職記【第4話】 まえ メニューに戻る つぎ

    太陽電池を追いかけて《3》


    ▲多結晶シリコン基板


    ▲単結晶シリコン基板


     筆者はその後、多結晶シリコン太陽電池の変換効率向上の仕事を担当することになった。多結晶シリコンという材料は、単結晶シリコンと概ね同様の材料的特徴を持ち、より低コストで製造できる一方、半導体的な特性はやや劣り、品質のバラつきが大きい材料である。太陽電池は集積回路素子ほど動作に厳密性が求められないことと、より安い製造コストが重視されることから、その頃から多結晶シリコンによる太陽電池の生産量が急激に伸びつつあった。太陽電池の生産量が増加し始めた1994年には単結晶シリコンの比率が最も高かったが、1997年に多結晶シリコンが首位に立って以降そのシェアは増え続け、今や全生産量の約60%が多結晶シリコンである。

     筆者のグループでは単結晶シリコンや多結晶シリコンという材料自体は製造せず、他より入手したこれらの材料に太陽電池として動作するための構造を作製していた。最初は単結晶シリコン太陽電池での工程を適用しながら開発を進めていったが、実際取り組むと、材料の製造コストが安く特性が劣るとはいえ、その材料を使った性能向上のためには多くの可能性が残されていた。また、これまで太陽電池以外では使われていない材料であったため、材料特性の解析を行うと、単結晶シリコンよりも複雑で未解明の部分が多く、学問的な興味も呼び起こすところがあった。

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    ▲セルの作りかた:単結晶シリコン(上)と多結晶シリコン(下)
    シャープ 住宅用太陽光発電システム(サンビスタ)
    「太陽電池ができるまで」より引用


     この材料を使って、より変換効率の高い(=発電量の多い)太陽電池を低コストで製造する方法を開発することが、筆者の新たな課題となったが、それと同時に太陽電池業界全体にとっても、非常に重要な課題でもあった。この業務を遂行する中で、実験室レベルではあるが、多結晶シリコン太陽電池の変換効率の世界記録を塗り替える……条件つきではあるが……などの成果が得られた。

     とは言うものの、最先端技術を一企業……たとえ生産量世界一とはいえ……の中で開発するのは色々な制約がある。特に、理論的なアプローチや誰も手をつけていない分野への挑戦には、どうしてもシャープ単独で実施するには研究資源に制限がある。企業と大学とが連携して共同開発を進めることが一般的になってきた時代ではあったが、多結晶シリコン太陽電池の世界では、日本の大学や研究所はシャープをサポートするのに十分な実力があるとはいえなかった。また、社外への研究発表や技術的な情報交換に多くの制限があることも、共同開発を進める上での足枷となっていた。

     この頃からであろうか、多結晶シリコン太陽電池の研究をシャープの外で、いや、日本の外で続けることができないか、真剣に考えるようになったのは。このテーマでは日本国内にはシャープの研究環境に勝るようなところはなかったが、欧米豪では研究の領域では日本より進んでいる研究機関がいくつかあった(具体的には、欧:4、米:2、豪:2)。北野時代の柏尾プリントのおかげでヨーロッパの歴史と文化には強い興味があったし、妻の力強い後押しに勇気付けられたこともあって、思い切ってドイツとベルギーのいくつかの研究機関、それとオランダECNに履歴書を送った。2004年の4月のことである。


    ▲ECNの面接で初めてオランダに


     シャープには勤続10年で10日間の休暇がもらえるリフレッシュ休暇制度というものがある。元々、この休暇を利用して、9月中旬に家族で2週間のヨーロッパ旅行を予定していた。ECNを含む数箇所から、研究部門の責任者との面会可の回答をもらったのを幸い、旅行がてら各所で面接を受けた。ドイツは過去に3回訪れていたが、オランダ訪問は、実はこのときが初めてだったのである。

     ECNとの面接は当初から好意的で、帰国後も追加レポートを提出したり電話で補充インタビューを受けたりなどがあった後、しばらくして Senior Scientist 職のオファーを受けた。ほぼ自由に論文が発表できること、他の研究機関や企業などと比較的オープンに技術的な議論ができること、多結晶シリコン材料に対する学問的好奇心を今より満足できる可能性などに魅力を感じ、筆者はこのオファーを受けることにした。

     こうして筆者は石油危機の幼児体験から、太陽電池を追いかけてオランダまでやってきたことになる。今では太陽電池は石油の枯渇に対応するためのエネルギー源というよりは、地球温暖化防止のためのエネルギー源と見なされているようで、海水面より低い土地を多く利用しているオランダ人にも関心のある人は多いようだ。ただ、日照条件があまりよくないこと、自前のエネルギー源(オランダ北部グロニンヒェン州の天然ガス田と、北海油田の一部)を持つこと、自然エネルギーの普及は当面のところ風力やバイオマスを優先する方針などがあり、太陽電池普及のための公的政策実施には現状ではあまり積極的でないのは残念ではある。

     先にも述べたが、妻も私も2004年9月が初めてのオランダ訪問で、それまでオランダ語やオランダ社会の現状は何も知らなかった。さすがにオファーが出てからはオランダに関する書籍を読んだり、少しずつオランダ語を学んだりは始めたが、いざ住み始めると、周囲にあふれるオランダ語に囲まれる中、様々な手続きが期待通りにいかなかったりすると、よくもまあ自分たちが生活面のことを深く考えずに海外への移住転職を決めたものだと、半ば呆れ返ることもよくある。


    ▲地元の小学校にて
    スポーツデーのひとこま


     こちらに住み始めて1年と少し、ようやく色々なことにも慌てず騒がず対処できるようになってきた。妻も私もオランダ語はまだほとんど使えないが、子供たちはすっかりオランダの学校に溶け込んで、近所の人たちともオランダ語で話をしている。仕事のほうは、初めての転職、しかもシャープでも全く転属を経験していなかったので、仕事の進め方が変化したこと自体に慣れるのに苦労しているが、とりあえず内部での存在感だけは主張できているように感じる。

     今年の3月に半導体関連の学会出席のため一時帰国した際、またこの9月初旬にドイツで太陽光発電の学会があった際、日本の太陽電池業界の多くの人たちと交流を持つことができた。彼らとのコネクションは筆者の宝であり、武器でもある。いつかはシャープを始め日本の太陽電池業界に恩返しができるよう、研鑽に励んでいるところである。

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    Last Update: Sep.23,2006