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博物館で社会教育の仕事に携わっていて思うのは、たぶん…文化部の再興なんかは、もう学校単位では無理な気がしますわ。特に生物部なんか見ててね。あるエリアのブロックでまとまって大々的にお祭りをうつとか…それこそ博物館を使ってですね、県内の(あるいは区域内の)学校の生物クラブの祭典をやるとか…なんかそういうような派手な打ち上げ花火が要るんちゃうかなという感じもします。
どうしても「学校教育」というと割と閉鎖的なところがありますでしょ。逆に「社会教育」というと、変な話…詩吟の会とか、そういう高齢者福祉に近いところに重点が置かれるって言う現実があったりして、その中間が抜けてるんですね。最近、学舎融合とか学校教育と社会教育との融合とか連携とか…口ではいろいろ文部科学省とかも言ってるんですけど、実体としてはなかなかやっぱり進まないですね。きわめて日本的な状況ですね。
アメリカの博物館でいろいろ話を聞いたんですけどね。「実は日本では学校と博物館とでうまく連携できてないんですよ」って言ったらね。「じゃあ、博物館が学校と連携しないで、一体どこと連携してるの?」って聞かれるわけですよ。確かに、そう言われたらそうやなぁ…と改めて思うんですけどね。
ひとつには縦割り行政…セクションがあると言うことですよね。学校教育と社会教育がまったく違う管轄にあったりして。自治体によっては、特に公民館とか生涯学習のほうが、知事部局とか首長組長部局にあったりするわけですよ。社会教育はまだ教育委員会に残ってたりしてね。てんで連絡が無いというような状況もあったりするわけです。
そう考えるとね。簡単に「高校生物部の活性化」と言うても「博物館で何かそのために協力をしたい」と言うてもね。なんか変な話…恥ずかしいことなんですけど…書類の回る順番が、たとえ学校と博物館が隣接していても、直接ダイレクトには行かないんですよ。そういう状況ですわ。社会教育課長から教育次長くらいまで上って…そこから漸く学校の課長へ。役所ってそうでしょ?隣の課へ行くのに、ぐるっと大回りしないとスジが通せない。
アメリカで何故それがうまく行ってるかって言ったら、要は博物館自体がビジネスなんです。経営がほとんど民間の財団になってますので、つまり公益法人になってますので、寄附を取ってきたり事業展開していこうと思ったら「学校」が最大のマーケットなんです。学校にサービスしておけば、それだけ博物館のネーム・バリューもあがって、寄附も集まってくる。ごく自然な流れなんですよね。「なるほど、それか」って思って、そう考えたら学校と連携するのは当たり前と言えば当たり前かも知れないですけどね。
自分の中学・高校時代を振り返ってみると、ちょうど個人のレベルで両者を行き来しとったわけですよ。学校の場…生物研究部と博物館という社会教育施設との間をね。個人では行き来してましたけれど、それを制度化して実施するには確かに難しいところがあるのかなと思ったりします。
とはいえ、博物館の先生が学校に来たら面白いのになぁ…学校ももっと博物館を利用したら面白いのになぁ…とは思いましたけどね。自分はその両方に行ってよく知ってるからなんやけど。せめて「そういう場があるよ」という情報がキッチリ流れてくれれば、今頃はもうちょっと両者の関係も濃密なものになってたかも…。
うちの博物館の職員の中にも、学校現場から来てる人間が3人おります。そういう人が指導主事という立場で、例えば学校団体が来られた時に先頭に立って案内するとか、そこが窓口になるわけです。