『LUPE』No.31(Nov.1993)に寄せたOBの近況 |
そういう思想を受けて学校の先生になってる方もおられますしね。割と多いのが山歩きする人たち、ハイカーたちね。あぁいう人たちは自然保護に対する意識も高くてですね。そのこと自体はすごく良いことなんですけど…行き過ぎるとね。無邪気な子供に対して「何しとんねん!お前らは!!」みたいな高圧的な態度でいきなり怒鳴りつけるわけですよ。
何もね…いきなり会うた子に、白い目で「お前は何考えとんねん!?」とか言うて睨みつけて、罵倒を浴びせかけることはないと思うんですよね。ちょっと子供心に辛かったですよ。僕も「ほんまにアカンことなんやろか…」って随分悩みました。ずっと疑問やったんですけどね。「この疑惑は必ず晴らしてみせる」思うたのが、今の自分に繋がっているのかも知れません(笑)。
子供にとって大事な昆虫というのは、貴重な生き物というのはですね。別にそんな絶滅危惧種じゃないわけです。カマキリとかバッタとか…それで充分なんですよ。要は自然の中でそういう生き物を発見できる喜びのほうが重要なんですけどね。無闇に殺生することが目的なのでは決してない。
仮に、周囲にたくさんの木群や草っぱらがあったとしても、誰もそれに目を向けんかったら分からない存在ですからね、虫たちというのは。田舎の子ほどそういう虫捕り遊びをしないって言いますよ、最近はね。昆虫は小さな知的好奇心の結晶なんです。
「昆虫学ハイスクール」に来てる中学生にも、虫はすごく好きで一生懸命やってんねんけど、ちょっと人間嫌いな子がいる。他人と話しするんがあんまり得意じゃないって子ね。やばいなぁ思てね。よく世間で「昆虫採集やってる奴はみんなクラい」とか言われてるでしょ。それは必ずしもその子が暗いんじゃなくて、周りが暗くするんやね。わぁわぁ言うて、寄ってたかって。その子の所為やないんや。
僕も昆虫少年の卒業生として、そんな子たちの立場をできる限り擁護して行きたいと思てるんです。結局、昆虫というものから始まって、人のほうに視点が向いてきてると言うことですね。そうせざる得なくなった。状況的に、そうなってきますね。
やっぱりね。最後は人と人との関係しかないですわ。そうなって来ると、逆に業界狭いんですよ。この業界って。関西の自然系博物館の大手いうたら琵琶湖とうちと大阪しかないんですわ。そこにおる人間って…ほぼ、みんな知り合い同士って感じになる。ただ本格的に施設同士で共催事業をやろうと言うと、色々面倒な手続きがあったりするので、なかなか実現しにくいですが。公に協力関係にはありますよ。展示をする時に「ちょっとモノ貸してぇや」とか…何かとウェットな感じのつき合いが多いんですけどね(笑)。
最後に母校の後輩にですか?
そうですねぇ。とくにメッセージなんて無いですけど。僕はやっぱり、北野におって一番良かったな思うことは、好き放題させてくれたじゃないですか。宿題もなかったですし。思う存分、好き放題するのがええんかなと思いますけどね。その意味は後からじわっと分かってきて「こういうことやったんか」と。後で分かる。
放ったかされたって言うことは=自己責任ですよね。そこはやっぱり後々考えると「教えられてるんかなぁ」と思いますね。宿題をしまいが、授業をさぼろうが…それはお前がやってることやねんから、わしゃ知らんという。世間ってそうですもんね。社会出たらそうですもん。それをちょっと早くに教えてくれるところやった…という印象がありますね。
ついでに言うと、それをもうちょっと早く僕が理解して、活用しとったらもっと良かったのかも知れないのになぁ…という気はしますが。後悔じゃないですよ(笑)。