|
その頃ちょっと名前も売れ始めていたので、私が出すなら伝統工芸も範囲を広げてくれるだろうという相当あつかましい思いで出したら、その通りになった。でも、その組織の中に入ったら私なんか幕下みたいなものでした。藤本さんは横綱ですね。ところが販売の実績からいうと、横綱と幕下が同格になってしまったのです。一番先に売れるのはそのどちらかだと…。それは画期的なことだったと思います。40歳代に入った頃でしたね。今まで陶器の世界で考えられていた市場性が変わったのです。お金を出して買おうという人が、それまで意識を持っていたけれど、その対象物がそこになかったということだと思います。それまでは絵や他のものに意識を持っていた人が、陶器を買おうという接点に私がいたというわけです。そういう人は今までの伝統的な陶器には興味がなかったんですね。それまでは陶器の画商と、絵の画商とは全然違いました。絵の画商が陶器を扱うようになった最初の頃だと思います。
伝統的工芸品 |
芸術作品と市場性
今はまた状況が違ってきて、景気の後退で画商の世界はひどい事になっています。バブルの時には展覧会の前に泊まり込みで行列ができてしまったのです。業者さんに頼まれたアルバイトの若い人までその中に混じっていました。何点か確保するためにね。この時期には業者は、特に画廊はお客が誰であるか作者に明かさないのです。最初の頃は個人的に買って下さった方と親しくなるのでわかりますが…回顧展では作品を集めるのに苦労しました。ある程度は個人のコレクターの方から借りる事ができたのですが、バブルの時期のものについては画廊なりデパートなりの担当者に問い合わせて、集めるように頼んでもなかなか集まらず、所有者がわかってもやはり出せないとか色々なケースがあって大変でした。昨年の信楽焼の展覧会では、最初の頃の個人のお客さんが来られて「おもしろいなあ。」と言って買って下さったのです。バブルの時にはそういう方たちは買えない状況だったんです。その方達とは今も交流があります。個人的なお付き合いで親しくなったことが多いですからね。
|
社会的な変化と創作と言う事はやはり密接な関係がありますね。今はむづかしいですね。ルネッサンスの昔から政治と文化は密接に結びついていますから。 バブルの時期には企業がその役割を果たしていたわけです。その企業のオーナーにどれだけ芸術的な意識があるかということと、作家がその時にどれだけの物を創っていて、どれだけ有名だったかということ。建築家と造形作家の結びつきもそうですね
やはり自分で作家としてやっていくためには、ある程度我慢というか強引でも自分のものを押していくということが必要でしょうね。あるラインにのるまで。のってしまえば又次のチャンスが来る、それでまた上れるということはあるでしょう。そういう関係の人との人間的なつながりをどれだけ作れるかということも必要だと思います。もっとも政治的なつながりだけで、何であんな人が取り上げられるの?、ということもありますけれどね。