30代のころ |
四国にいた頃から、考えてみれば今の仕事の先駈けになるような部分もありました。それとは別に、土産物で窯を成り立たせるために、それまで植木鉢しか作った事のない職人さんに急に轆轤(ろくろ)をひいてもらって湯飲みなどつくったのですが、やはり口つくりや高台つくりなど駄目なので、何とか絵付けしてごまかすというような作業もやっていたわけなんです。その作業の方が多かったかも知れません。
その中で自分と土との接点がどうなのか、という事はずっと考えていましたが、土でものを作るという場合の、説明しにくいのですが、これだという感覚がまだ自分の中になかったのです。
でもある時点で、ああ、この手法でいけるかもしれないなという感じを持ったわけです。大きな転換といえばそこですね。そこから「ああ、これで一人で作家としてひょっとしたらやっていけるかもしれない」という気になって、それなら東京で発表しようという感じで関東へ来たんです。そこからは一つの流れはありますね。
笠間の自邸
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笠間の仕事場
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その後に創って行った作品の原型は二十代の頃にあったと思っています。創り出した時、あ、これは昔考えていたな、というのがある。それが昔は技術と結び付いていなかった。それをどう表わしてよいかわからなかった。ああこれかなという、土との接点があってから、そこから技術的なものでやりだしたら、昔持っていた発想が全部それに出てきた、という感じですね。
僕の場合はそういう形で出発してみようかなという気になったのです。笠間の仕事場は23〜24年前こちらへ来た時にまず作りました。仕事場を作らないと仕事が始まらないので。お金がなかったのでツーバイフォー住宅の材料を買って、独自の工法で建てました。材料費だけですみますからね。
笠間に仕事場を作った1977年ころ
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森の器 -1978-
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