万里の長城を視察する日中国交正常化の一行 撮影:志甫溥(66期) |
72年の国交回復の時の私は、田中角栄さんにつきっきりで、北京空港から同じ車に乗って人民大会堂まで連れてきました。万里の長城とか故宮とか、観光するときは私がついて通訳をした。まあ、世話係ということになりますか。たしかにせかせか歩きの人でしたね。
最近知ったんですが、当時田中首相に同行してきた日本の記者のなかに北野で2年下の志甫溥さん(その後TBS会長、現相談役)がいたそうです。
文化大革命終わってからは、日本の政党と交流について、もっと広い範囲に広げるべきだと提案しました。一足飛びに自民党と交流するのは反発があるだろうから、まず社会党からいこうと。それで私が二年間ぐらい色々根回しをやったりして、1983年に日本社会党と交流関係を結んだんです。石橋委員長の時代ですね。
小平さんの時代の「改革開放」政策が始まると、党の交流範囲をもっと広げて、相互理解と平和の確立に役立たせるべきだと考えて、大胆に政権党との交流を実現させた。1985年から2年間は日本大使館に駐在しました。当時、たくさんの代議士とお会いしましたが、ある議員の秘書として同行していた78期の堀内憲治さんとお会いしていたんですってね。これも最近知りました。78期といえば、NHKアナウンサーの木村知義さんとは何回もお会いしました。最初はお姉さんと知り合いだったんです。彼が後輩だということも最近までまったく知りませんでした。世間は狭いもんですな。中国大使をつとめられた中江要介さん(53期)とは、日中関係のいろんな会合でお会いしているうちに、先輩ということがわかりました。