衛生局時代(S61) |
そのあと、世論調査などをする広聴の仕事に就いたんです。これは面白かった。全体が見えるんですね、まあ、政策立案の基礎過程のひとつみたいな仕事ですから。問題がよくわかると言うことで・・・。自分の希望もあって、5年間いましたね。そのあと行かされたのが、外事課。
すごいショックで・・・。違う仕事をと思って自分が一度出たところに戻されたなんて・・・。そのころからね、まじめに昇任試験を受けようと考えだしたのは。都庁にはキャリア制度がなくて、昇任試験に合格すれば誰でも、管理職になれるのね。逆に、大卒であってもそれだけではダメということ。
ホントはもっと若いときから受験のチャンスがあったんだけど、ちょうどそのころ産休とったりして、それに、当時は、まあ今だから言えるけど、結婚したあとずっと都庁に勤めるかどうか迷ったところもあったの。でも、ある程度の年齢になると昇任しなかった女性職員は、専門職みたいに扱われるところがあって、そこ止まりなんですね。
管理職昇任試験というのは、内申もあるし、常識問題的な五肢択一や専門的な記述問題、論文もあります。論文が最もウェイトが大きい。私は、文章書くのは自信があったので、まあ、何とかなるだろうぐらいに思っていたの。ところが、受からないんです。何年も。当時は、さっきも言ったように外事課にいたんですけど、受験はうまくゆかないし、出戻り意識もあったし、いろいろで身体までおかしくなるような状態でした。そのうち制度が変わり、管理職制度の他に主任という制度ができて、この主任試験にうかったんです。
でも配属されたのは衛生局。これまたショックでした。まあ、それまでいた部署にくらべると、外に出されたという感じで・・・。もうひとつ、今から思うとちょっと恥ずかしいんですけど、何となく庶務的な仕事を、内心はバカにしてきたところがあったんですね。何でこんな雑用を私がやらゃなきゃならないんだって・・・。でも、衛生局ではその庶務仕事も含めていろいろやらなければならなかったの。で、知らないことがいっぱいあって、規定や規則に従った仕事は、いわば縁の下の力持ちみたいな仕事で、その役割の大切さを初めて知りましたね。あれは、いい経験でした。仕事に対して謙虚に取り組むという姿勢を勉強しましたね。この勉強も、あとで大きな財産になりましたね。
北高校事務室長時代(H1) PTAとの会議で |
もう一つは、いわば、きちんとした文書を作るということを学んだこと。口で言うのは難しいけど、官僚的作文ていうと、悪文の権化みたいな言い方なんですけど、確かにそうなんですけどね(笑)。まあ、それはともかく、ある施策を立案したり説明するためには、皆さんが理解できて、納得できる説明が必要なわけでしょ。そういう意味で「きちんとした」文書をつくることは大切なのよね。
女性都議・管理職の交流会で(H8) 来賓の青島都知事と |
そうこうしているうちに、意外に早く昇任の異動があって、今度は高校の事務室長。これは、楽しかった。そう言うと教員の皆さんには怒られるけど、いろいろ事件があって、私はとりあえず教育の中身には部外者の立場だったから。その時見ていて、教員が本来の教育そのものに専念できない状況があるというのは、問題だなと思いましたね。学校の授業や生活指導やクラブ活動の仕事に専念できるように・・・。そこには1年8ヶ月いました。
次に配属されたのが都立中央図書館。ちょうど中之島の図書館みたいな。場所は広尾と言うところの有栖川宮公園にあって、いいとこなのね。でも仕事はわけの分からない課長で、参考課長。まあ、リファランスの仕事ね。そうそう、ちょうどその時あの加藤周一さんが館長をされていました。で、ものすごい人数の多い課で、全部で100名くらいいるの。嘱託も含めて。そんなところで2年間いました。