入庁の年(S45.11) |
いよいよ阪大を卒業ということになって、さっき言ったように家族が東京にいるので、とりあえずは東京で就職したんですね。就職ということを考えたとき、まあ、これは今でもある程度同じだと思うのですが、男女差別がないところというと、公務員か教員しか思いつかなかったんですね。教員になるというつもりは全くなかったんで、まず公務員試験を受けようと思っていました。
一応、国家公務員試験も受けたんです。二次の面接で、なんか嫌みな質問ばかりされて、こりゃ落ちたなと思いました。それで、東京都にあわてて願書出したら、案の定、国家公務員試験は落ちていました。東京都の試験は、まあ、今風に言えば楽勝ってとこね。面接も全然違う優しい雰囲気で。でも、今でも忘れませんが、面接官が「お茶くみできますか?」って聞いてきたんですよ(笑)。それで、「しないとかするとかの問題ではないと思います。自分が飲みたいときに、人にも入れるのは、それはそれでいいんじゃないですか。でも、それが仕事だって言われたら、やっぱし問題あると思います。」って答えたんです。まあ、優等生答弁ですよね。
もちろん、就職したあとに、実際にお茶くみもしました。入れてくれって言われれば、お茶を運んだし、お客さんだなと思ったら、入れましたし、朝のお茶くみだって、ほかの女性たちと、一緒にお茶くみした。当番で洗い物もしましたし・・。
広報室出版課(S49) |
ところが、2年足らずで、制度が変わり本局に戻ることになったんです。で、どこがいいかと言う話になって、今から思えば相当わがままだったと思うんですが、あれこれ文句をいって、結局外国向けの東京紹介パンフレットをつくったり、外国のお客さんの案内をしたりする外事課という部署に行きました。英会話が苦手だったのは困りましたね。で、第二外国語がフランス語だったから、フランス語の印刷物出す仕事なんかしました。
広報室時代(S49) 講演会(都庁内)にて取材。この頃、 女性の参加者は少ない。この時も紅一点。 |
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