「たばこ」なんかも古き良き時代。戦後復興期の日本では男が10人いたら6人が吸ってたからね。今はハッキリ言って煙草吸ってるだけで非文明国扱いされるけれど(笑)。日本も「専売公社」時代は煙草がものすごく売れてた。「光」とか「ピース」いう銘柄。で、その頃の煙草というのは両端とも切り落とした格好で、いわゆるどっちに火をつけても良かった。パイプに差して吸ってたわけ。ところがアメリカでは、既にフィルターつきの煙草が出回ってた。
日本で初めてフィルターがついた煙草…それが「ホープ」とか「ハイライト」という銘柄でね。昭和35年かな。これも爆発的に売れたけど…あのフィルターの巻き紙のことをチップペーパーといって、これにコルク模様の印刷をしないといけない。それを「ぜひ、凸版にやらしてください!」といって注文を取って来た…。
ところが問題はね。口をつけるから…インキの毒性が指摘された。アルコール溶剤を大量に使う印刷技術ではアカンかったわけや。当時主流の平版印刷、グラビア印刷ではダメ。京都に専売公社の工場があったけど、やはりゴム版で刷るような古い凸版印刷機なんて時代遅れの機械は置いてなかった。だからこそ、ウチに注文が来たわけでもあるけど(笑)…正直言うと、実はわが社にも無かったんや。わっはっは。
合理化が進む中で、そんな古めかしい機械…いつまでも現役で置いてるわけがない。だけどね「天下の凸版印刷株式会社が凸版印刷機を持って無い…というのも恥ずかしいハナシやないですか?」そう言って『これからの煙草』いう論文を社内で提案して、わざわざその機械を入れて貰った。
「凸版のチップペーパーは毒性の心配がありません!」さぁ…そしたら全国の工場から注文が来た。それを一手に引き受けてね。手軽さが時代に受けてハイライトの売上げもどんどん伸びていく…わが社の売上げも連られて伸びていく。営業課長時代の楽しい思いでのひとつ。
昭和45年に千里で万博があった。あの時、日本で初めて無人改札の駅ができた。今の阪急北千里駅。それまではまだ自動券売機いうのは無かったから、行き先と値段の別に切符の裏に線が入ってて…そんな券をあらかじめ作ってたわけ。
それで、凸版が初めて裏が茶色いアノ磁気の切符を開発した。改札の機械に通すとサッとアームが開く。もう、すっごい画期的やった。あの時の担当者…みんな社長になった。阪急の荒川さん、オムロンの立石さん。ぼくだけや、仲間外れなんは(笑)。
それから全国展開を図ろうと思って、一生懸命売りに行ったけどね。東京の地下鉄なんかはダメだった。「切符切り」の人員削減に繋がってしまう、労働問題になる…いうことでね。まぁ徐々にやろう…と気をとり直した。でも、儲かってる電鉄はなかなか導入しなかったよ。阪急、阪神、東急なんかは皆やったけどね(笑)。
磁気商品といったら銀行のカード。それまでは、いちいち紙に書いて、はんこ押してやってた。住友銀行の磯田頭取…イトマン事件でちょっと苦労されてしまったけど…あの人が常務の頃に「こんなことしてたら銀行が行き詰まる。経費も持たん」ということを指摘してた。日本が経済大国になりつつある前兆、もう昭和40年くらいから見通しがついてたわけ。賢かったと思うよ、あの人。
それで、お金の出し入れできるプラスチックのカード…当時、一枚100円くらいしましたけどね。それを導入することにした。
そういう風にね。世の中が変わる時に、その変わり目で実際に役に立つことを提供する。ぼくら印刷業いうのはサービス業やから、高級化路線の時は高級化に対応していかないといけないし、リーズナブルな簡易包装が受ける時は簡易包装に徹さないといけない。だいたい人が困ってることを解消してあげるのがポイントやね。
たとえば酒屋でね。一升瓶を木の枠に入れて運んだら、やっぱり何本かの割合で傷むわけ。それと運送費が16%くらいかかる。そうすると1,000円につき160円何がしのコストがかかる。ところが凸版で作ってる紙パックやったらね…パッケージ自身はビンより少し高いけど、運送時に4倍から5倍は余計に積めるんです。そらそうやね。
だから結局トータルコストではこれだけ安くなりますよ…ということを提案するわけ。もう一つは料理屋が一番喜ぶね。人が見てるところはビンじゃないと格好がつかないけど、人の見てへんところでは一緒や。その部分は紙パックでやろう、とね。
印刷業に限らず…人の役に立つということをやらなアカン。田村清三郎校長が言う「悠久の大義にて国家のために」でなければダメなわけよ。自分のため、自分だけ儲かるためじゃ通用しない。自分はもちろん儲けさして貰うけど、他人もちょっと儲かるヨ、国も栄えるヨ…そういうので無いと。
これまで見てても「自分だけ儲けたろ…」いう奴はだいたい失敗してる。それと成功するには「時局を読む」こと。時流を読む…これまた田村さんのおっしゃってた通りやったわけ。