ま、それはともかく…当時いっぺんに100人の大学生を採る会社はなかった。景気は頗る良かった。何しろ札ばっかり刷ってたからな…インフレの上昇期でね、「2銭」の焼きイモが瞬く間に「5円」になって…だから10円札が間に合わんかった。だけどね…大蔵省で10円札の増刷体制ができたら、それ以降は民間会社で札は刷れんようになった。さぁ大変や。
今まで銀行の小切手とか、株券とか…全部、断ってた。札束ばっかりやってたから(笑)。「ウチはお札やってますから。とてもおたくの仕事まで、忙しうて手が回りませんわ」そう言って偉そうに断ってたらしい。そんなこと、ぼくは知らんがな。叔父が専務をしてた大和銀行へ注文取りに行ったら「キミ、よくウチの銀行の敷き居跨いだな。会社に帰っていっぺん先輩に聞いてこい」そう言うて門前払い。しょうがないから…こっちはアホみたいにペコタンペコタンしてやね。仕事、何とかして貰いたいから。
もぅホント、身を粉にして働いた。今みたいに9時始業じゃなくて、8時から4時までということになってた。でも実際はエンドレスで終業時間なんて、あってないようなもんで…それでも翌朝は8時から。起きれないよね、そら。それでも朝8時に会社行って、まずホウレンソウ。「報告」「連絡」「相談」いうのが必ずある。不言実行ではダメ、有言実行でないと。
それから得意先を回って注文を貰って来る。夕方帰社しても、まずその整理。「これ、貰てきたで」いうてポンと置いとったら…工場、いいかげん適当にやってしまうよね。だから得意先の意向通りに分り易くきっちりと指示書を書く。
それから値段。得意先にはできるだけサービスして、次の注文が来るようにしないとね。かといって会社にはあんまり安かったら怒られるから…いい頃合いのバランス感覚が必要になってくる。商売にならないと始まらないからね。
得意先にサービスしなかったら、自分の上に振りかかってくる。それが営業というものやね。一回はええけど、二回目、次もぅアウト。サービスしたら必ず帰ってくる。「ようできました」「ありがとうございました!!」そういうてたら代金もサッと入ってくるし、誰も値切らないしね…うまいこと行くもんなんだ。最初から値切られない値段に設定しとかんと。そういう計算がデキないと話にならない。
それで、ちょっとよくデキる…となると銀行担当、新聞社担当に回されるワケ。銀行は朝のうちにお伺いする。新聞社は夕方の仕事。会社に帰ってきたら、夜の7時や8時はザラでね…新聞社の人と晩飯でも一緒に喰べて帰ってきたら、10時や11時になりよる。
呑み屋で遅くなって…「明日にしよ〜」で済むンやったらいいよ。楽なもんや。でも、それでは仕事にならない。その日のうちにガーと片付けてね…家帰って寝てたら翌日起きれないからね。朝8時には出社してないといけない。結局、そうなったら、もぅ…家、帰ってられへん。邪魔くさい。
それで会社に泊まり。その分は…でも、みな月給になったからね。昔はタイムレコーダーという奴で…働いた分だけお金になったから。しかも「割増」がつくから…結構高額になった。なったけど、使う時間…無かったけどね(笑)。
ぼくら月給が7千円の時に上等の洋服は2万円くらいした。キャノンのカメラが3万円くらいの頃ね。でも、営業いうのは…競合会社もおるからね。ナメられるがな。いくら安月給でも身なりはちゃんとしとかな。それで、上等の服を一流の服屋で買うワケ。神戸は「ワタナベ」、大阪は「マツザキ」。この2軒しか行かなかった。そこでエェのを買って、それを着て勤務したんだ。遊ぶ時間は無かったけど…いくら働いていくら貰ってもね、使い途はいくらでもあった。