団体競技で何を教わるかと言うと…会社に入ってものすごく役に立つのは「All for one, one for all」の精神。「みんながお前のためにやっとるのやないか!お前もみんなのためにやれ!」逆に言うと「俺はチームのためにやるよ。その代わりチームの人よ、俺を助けてくれよ」そういうこと。ぼくは関大のためにアメリカンフットボールを一生懸命やった。だから関大も、ぼくを凸版に入れてくれんと困るわけ(笑)。「勝った、勝った!」言うて、ごっつい優勝カップを持って帰って…会社すべってたら、ぼく悲惨ですよ。そら、学長も一生懸命になって付いてきてくれるわけ。今みたいに人数も多くないし。
その代わり、ぼくも…骨折れ矢尽きても頑張ってやったよ。足が痛くても、そんなことは言ってられない。そら、ぼくらの監督いうたら無茶言うたからね。「手ぇ痛い」言うたら「足でタックルせぇ!」と。そんなん…足でタックルできるかいな。そしたら「足も悪いんやったら歯ぁで噛めぇ!」言うんや。走ってくる奴、どうやって歯で噛めるいうねん。歯が折れてしまうよね(笑)。無茶苦茶言うとる。
その無茶を…「無茶」ととらずに「それだけ頑張れよ」いう激励の意味に汲み取らなアカン。「わかりましたぁ。歯ぁで噛みますぅ」それが師弟愛いうもんじゃないかな。その代わり、その監督…練習が済んだら「芋食え、何食え…すき焼きしたる」言うて。ぼくらも随分ご馳走になって、得な人生過ごしたですよ。だからね。チームのため、組織のため…いうだけではアカン。All for oneやから。個人の面倒も見ないといかん。関大はぼくを無事、就職させんとアカンかったわけ(笑)。
尤も…日本一のチャンピオンというので会社の就職は楽やった。とりあえず親父の大学の同級生が社長だった阪急電車と、母親のコネで鐘紡、凸版印刷の3つを考えた。ところが親父が言うには「鐘紡いうところは“慶応にあらずんば人にあらず”いうくらい学閥の強い会社や。しかも紡績は一つの流れでずっとやるシステムやからアカン…やめとけ」と。「だいたい基幹産業はお前には向いてない、サービスか雑加工へ行け」要するにフレキシブルな仕事で、丈夫な体を最大限に活かせる…ハッキリ言うたら「長時間労働のところへ行け」と、そう言うんです。その点、印刷業はフレキシブルですからね〜。残業がものすごい多い会社で…ちょうど、ぼくに向いてるいうことになって。
本当のこと言うとね。昭和27年の基本給の順で言うと1が鐘紡。ぐっと離れて凸版、そのちょっと下が阪急…という順位やった。ところが凸版印刷は、残業手当てを計算すると月給が倍になる。家帰らんとずっと会社で働いてるから(笑)。
しかも、またそこで救われたのが…会社の親分が北野中学卒でね。凸版の支社長、38期の幾島英二さんといって北野中学の先輩やった。関大の学長が推薦状もってついて来てくれたけど、会社やから試験は一応あった。北野中学みたいに無試験いうわけに行かんわ(笑)。ぼく、北野も関大も無試験やったからね〜。
入社試験を受けるとね、他の人には「最近どんな本を読んだか」とか難しいこと聞いてるわけ。ぼく、どう答えようかと思案してたら…その北野の先輩が「羽間くん。君、アメフットやってたらしいな。本なんか…アメフットの難しい英語の本しか読んでないだろ」ちゃんとブロックしてくれる。自分の後輩をバカ扱いされても困るからね。ボロが出んように予めフォローしてくれるがな。そら、やっぱり恵まれてるわ。支社長やから他の人は口挟めない。「はい、そうなんです。本も作りました」「そうか、ルールブック作ったんか」といい調子で。「体、ホントに自信あるな?」「はいっ」「ところで、アメリカンフットボールっていうのはラグビーとどう違うんだね?」そんな質問攻め…ナンボでも答えられるよね。
そしたら横っちょのイジワルが「お前なんやコレ…関大いうところは全部『優』なんか?」言うてくるわけ。面接官、びっくりしたんやろな。
ぼく、関大でアメフットばかりやったから正直、勉強してない。だけど大学の先生の中にも北野の先輩がいて…44期の沢村栄治教授をはじめとして、だいたい、みなさん応援してくれてた。「羽間。お前、アメリカンフットボールばっかりやって勉強できないだろ」とか言われて。「中学の時は便所ん中でも勉強しましたけど、この頃はそれもできません」言うたら、先生が「俺が教えたるわ」いうて模擬試験、何度もしてくれた。何回もしてくれるから、本番ではだいたい似たような問題が出るよね。それで、ほとんど「優」やった。
凸版には関大から他にもたくさん受けに来てたけど、そいつら「優」なんか全然少ない。それで「なんや羽間君。スポーツだけやのうて勉強もしたんか」言われて…。ぼく、この時とばかり「そんなにしてませんけど〜」言わしてもろた。ホンマにしてなかったけどな(笑)。
それで、合格やった。