アフリカの大地を緑に〜ジャカランタの花咲くジンバブエから【第25話】
やめときなはれ。その2
村の子供 (ジンバブエ南部にて)
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海外で援助の仕事を希望する方には、「観光旅行とは違うで。」と、私は、常々申し上げております。
まず、仕事はうまく行きません。資料が出て来ない。データはない。相手さんは約束を守らない。
飛行機のオーバーブッキングや荷物が到着地で出て来ないのは日常茶飯事。
水道からイトミミズが出てきても、断水よりはマシか、とあきらめる。
停電だけならいいけど、突然、昇圧して電球が爆発してもびっくりしない(うちは炊飯器をやられました)。
ドライバーがエイズでも、へっちゃらな顔をして、ハンドルを共有する。
ある日、通貨制度が変わって、手持ちの現金を1週間以内に使い切らないといけない。などなど。
「それでも、あんた、海外行くか。」と聞くと、大抵は「行く、行く。」となります。本人は、いいですよ。仕事もありますからね。私は、「家族のことも考えて、2・3日、頭冷やしておいで。」と再考を促すことにしています。
海外では、奥さんが、現地に溶け込めずノイローゼになる例が、案外多いことを知っておいて下さい。現地の日本人社会にも、奥さん方にも、遊び仲間や派閥があり、○○デビューとかも簡単ではないのです。
もちろん、うまく行けば、毎週のお茶会とか、自宅パーティーとかで、楽しい海外生活も出来ますよ。
ただ、全てがうまく行くわけではありません。で、「あんたの奥さん、大丈夫か」ということになるのです。
日本祭で書道 (ジンバブエ)
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子供。「現地では英語の学校に入れて、将来、英語で苦労しないようにさせたい。」と思う方もいるでしょう。
が、私は反対です。「母国語ができない人間は、外国語を学ぶことはできない。」というそうです。
私は、理科系へ進みましたが、北野では、母国語としての日本語の素晴らしさを教えてもらいました。
「いづれの御時にか・・・」
「月日は百代の過客にして・・・」
「春はあけぼの・・・」
「祇園精舎の鐘の声・・・」
古典だけではありませんよ。
梅棹忠夫の「モゴール族探検記」なんかも、いまでも深く心に残っています。
母国語が完成するのは、幼稚園の頃でしょうか。そういう時に、外国で生活すると、幼稚園や学校では英語、家でメイドさんと話すのは現地語、両親とは日本語。これでは、母国語が形成されません。
小中高と論理的な言語表現を英語で身に付け、英語でしか複雑な表現ができない場合は、日本で暮らすのは大変でしょう。もちろん、一生、アメリカで暮らすのも選択肢かも知れませんが、それを両親が子供に押し付けるのは、「あなたはだあれ」というアイデンティティーを子供から奪うことになるのではありませんか。
うちは、ネパールでは娘と一緒でしたが、日本人学校がなく幼稚園(年中組)から小1まで英語環境だったので、家内が朝5時半から30分、国語の勉強を見てくれました。そのあと、私が算数を見てました。ただ、学校が英語環境だった娘の英語の発音は、今でも私より上手ですがね。
釈迦生誕地 (ネパール ルンビニ)
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アイデンティティー。もし、子供さんを日本人として育てたいのなら、私は、日本で形成された「心の原風景」とか「心のふるさと」が必要だと思います。人間、万能ではありませんから、いつかどこかで、つまずくことがあります。その時、原風景を持つか持たないかでは、大きな差があると私は思います。
どんな原風景を持つかも、「あなたはだあれ」の重要な要素でしょう。
ところで、私の原風景はね、“梅田の雑踏”に “淀川の鉄橋を渡る阪急電車”ですよ。
アホみたい? けど、困難にぶつかった時、この“Indelible images in my mind”が、私にフツフツと元気をくれました。そりゃ、いつまでも忘れることができない青春の舞台であり、心象風景なのですから。
Last Update: Oct.3,2008