アフリカの大地を緑に〜ジャカランタの花咲くジンバブエから【第26話】
援助は町内会費か
たまには笑いも取らなあかん (ジンバブエ)
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北野の校庭に「殉難の碑」がありますよね。
私は、ジンバブエ派遣の前に、この碑を見に行きました。
開発途上国への技術協力の究極の目的は、世界平和なんですよ。だって、世界中の人々の毎日の暮らしに不安がなく、自分や子供の将来に希望があれば、あえて戦争を起こそうとする人はいないでしょ。きっと。
農業分野の技術協力は、「小麦粉をあげるのではなく、小麦の作り方を教える。」のですから、うまくいけば、少なくとも、食い物での争いはなくなるはずです。
とりあえず、腹いっぱいになれば、子供を畑の仕事から解放して、学校へ行かせることができるかもしれない。読み書きソロバン(電卓?)が身に付けば、詐欺師にだまされることもなく、うまくいけば高収入の仕事にありつけるかもしれない。栄養を摂ることにより、病気への抵抗力も付くでしょう。
そういう仕事なんです、技術協力は。
子どもたち (ネパール中部にて)
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ちょっと、援助、特に資金協力の歴史を振り返ってみます。
1960年代の後半、援助は開発途上国が共産主義化しないようにと、旧ソ連との援助競争という形で増加していきました(南北問題)。1970・80年代は、東南アジアへの経済協力を足場に、日本の輸出振興と投資拡大、資源確保を図った時代でした。ところが、1990年代になり、冷戦構造が崩壊すると、「南北問題」という政治的看板がなくなり、さらに最近は開発途上国の製品・農産物が日本に押し寄せるようになりました。
おまけに、国連の安全保障理事会の席が欲しくてばらまいた援助も、鼻薬にはならなかったし。
ある日本の外交官が「援助は町内会費と同じで近所付き合いの一環」といっておられましたが、付き合いに貴重な税金を使うような悠長な日本の財政状態ではありません。
東南アジアでは、その発展と同時期に日本の援助が増加したので、あたかも「日本の援助がアジアの発展を支えた」ように見えますが、実は、日本の民間企業が投資を行い、貿易を活発化させたからこそ、今のアジアの発展があると、識者は指摘しています。援助は、経済成長の万能薬ではありません。
壷売りの親子 (エジプト中部にて)
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だから、「アジアの奇跡をアフリカに」といわれても、援助だけではアフリカの発展は難しいでしょう。かといって、日本の企業がアフリカ各国に積極的に投資を行うとは思えない。もちろん、成功例もありますよ。
さらに、対アフリカ援助の先輩格である「欧米各国の援助は効果がなく失敗した」とされています。
この八方ふさがりに中で、日本は対アフリカ援助を増やそうとしています。さてさて、どうなることか。
そのアフリカの農業分野への日本の援助ですが、過去には成功した例もあるのです。
タンザニアとケニアの水田の例ですが、まず日本が農民の訓練センターと実証展示水田を無償援助で作って、日本人専門家を派遣。技術面での不安が無くなった段階で、日本が借款として資金を貸してあげて水田を造成。最後は相手国が自分の資金で、さらに水田を拡大。現地は、今では、地平線まで水田が広がっています。日本と違うのは、収穫中の水田の隣で、田植えを行っていること。気候条件が違いますからね。
成功の秘訣は、資金と人材を集中投資したことにあると、言われています。ばらまきをやめて、集中と選択。ジンバブエは、選択肢には入らないだろうなあ。インフレがすごいし、トラクターを動かす燃料もないし。
Last Update: Oct.22,2008