ホーチミンの街角から【第6話】
南北間の対抗意識
ホーチミンの統一会堂(南ベトナム時代の大統領官邸)
統一会堂の階上からの眺め〜前庭がフランス風というのが解る
ホーチミン中央郵便局〜フランス統治時代の荘厳な建造物
メコン川は殆ど氾濫しない
メコン川の船着き場
さて次は、ベトナム北部の首都(つまり政治の中心)ハノイの人たちと、南部の商都ホーチミンの人たちの対抗意識について申し上げましょう。
(これが結構凄くて、われわれ上方生まれが、東京人に抱く対抗心も、負けそうです)
私の同僚のベトナム人は、ベトナム鉄鋼公社から出向しているのですが、「もしハノイ(公社の本社)に転勤しろと言われたら、退職する」と断言しています。要点を言いますと、ハノイを含むベトナム北部は、1954年の北ベトナム独立以降、1986年の経済開放政策「ドイモイ(刷新)」発表まで、文化的な面での西洋の影響は殆ど排除されてきましたが、南部は、1975年のベトナム戦争終結まで、正に「東洋のパリ」でしたし、今でも、西洋風の街並みが沢山残っています。「ドイモイ」以降も、西洋からの投資は、つい数年前まで、圧倒的に南部に偏っていました。
言葉も、文字では南北殆ど一緒ですが、発音が、北部の方がやたらザジズゼゾの音が多く、要は「ズーズー弁」的なのですが、南部では、それをア行やヤ行の音で言い換えますので、南部の発音の方がずっと柔らかく聞こえます。例えば、民族衣装アオザイは、実は南部では、あくまで「アオヤイ」なんです。それと、私の名前、ヤマトを、北部出身の人は、癖がでて、つい、「ジャ」マト!と呼ぶんです。(しかも、「ジャ」にアクセントを置いて。)
食べ物も、南北で結構趣味が異なるみたいですが、特に、北部の人は、時として犬や蛇の肉なんかも喜んで食べるそうで、南部の人達は「あいつらは、ゲテモノ喰いだ」と軽蔑します。
北部の人達は、自分達は勤勉で、南部の人達は怠け者だ……と断定します。まあこれは、歴史的な経緯があって、北部の大河ホン川は、氾濫を繰り返して、人々を勤勉に働かざるを得ない状況に追い込んできたのですが、南部のメコン川は、殆ど氾濫しないのです。
(これは、カンボジアのアンコールワットの南にある、トレンサップ湖が、天然のダムの役目を果たしてきたからです。メコン川の水位が高くなると、半分はトレンサップ湖に流れ、水位が下がると逆にトレンサップ湖から水が供給されてきたのです)
おかげで、メコン川のデルタでは、その気になれば、三期作が可能なのです。
(そんなことしなくても食えるので、殆ど三期作なんてやらないんですが)
北部は、ガチガチの社会主義だった時期が南部よりも長いし、ハノイの街並みも、ちょっと中国みたいな雰囲気が強いですが、南部は、先ほども言いましたとおり、フランス風の建物が沢山残っているし、もともと南部は15世紀くらいまで、クメール人や、チャム人など、南方系の民族が支配していましたし、中国人も多いので、全体として国際的な雰囲気があるんですね。
気候面では、北部の冬は、雨も降るし、結構寒くて、セーターやコートを着てる人もいるんですが、ホーチミンの辺りは、冬なんてありません。年中あったかくて、但し、12月から4月までが乾季、5月から10月までが乾季という区別があるだけ。これは、人々の気質が異なるのも、当たり前でしょうか。
Last Update: Feb.23,2008