Salut! ハイジの国から【第42話】 まえ 初めに戻る つぎ

ポラントリュイだより:
バロック建築様式《その2》



▲大公司教
Jacques-Christophe Blarer de Wartensee
異例の、33歳という若さでバーゼル司教に任命され、
司教公国の改革に尽した
 理屈無しに心和む瞬間がある。遠出をしていて、夕刻、または夜遅くなってポラントリュイに帰る時。電車、あるいは車の中にいる私に向かって、ポラントリュイの街影よりも先に微笑みかけてくれるもの。それはオレンジの光に照らされて闇の中に浮かび上がる城であり、サン・ピエール教会である。この光景を見る度に、「故郷に帰ってきた」という思いに瞼を熱くする私である。
 その時刻、サン・ピエール教会の少し南側に、少し控えめに光を放つ塔がある。それが、今回ご紹介する旧イエズス教会である。この教会に隣接する、1591年に創設されたイエズス修道会カレッジについてはまた別の機会にご紹介するとして、1597年に礎石が築かれた教会の内部バロック様式部分について述べたいと思う。

▲旧イエズス教会内のパイプオルガン。
オルガニストなら、誰でも一度は弾いてみたいと思う「名器」

天井には、聖母マリア亡き後の世界が
化粧漆喰によって見事に描かれている。
「聖母の棺が空になっているのを発見して
大騒ぎする十二使徒」、手前が「昇天する聖母」

 カトリック勢力の復興に情熱を傾けた大公司教Jacques-Christophe Blarer de Wartensee(在位期間1575−1608)は、今日においても「大公の中の大公」と呼ばれ、秀逸な大公司教と評価を受けている。彼はただプロテスタントへの嫌悪を剥き出しにして町のカトリック色を強めたのではなく、火災で破壊された城の修復(公国統治の足場固め)、スイス国で20番目の印刷所(政教関係の書類や書物の印刷)、そして優秀な修道士・司祭の育成を目的としたイエズス会カレッジといった重要な施設の建築、公国内数箇所の製鉄所の創設を成し遂げ、ポラントリュイ、そしてバーゼル司教公国の復興に努めた。
 Blarer de Wartensee司教は、「貧困は勉学の妨げになってはならない」と奨学金制度を設け、貧しい家庭の学生をも積極的に援助した。その精神性が反映してか、イエズス教会の内部は、司教専用の教会にもかかわらず、建築当初は非常に簡素なものであったと伝えられる。
 彼の死後、ペストの流行(1610−1634)で、20年余りもカレッジは閉ざされていた。その後、30年戦争により、カレッジごとフランス軍による占領を受けた。授業は1639年に再開されたが、ほぼ30年のブランクにもかかわらず、イエズス会カレッジは黄金時代を迎え、国内外で高く評価された。

▲壁や柱の見事な化粧漆喰細工
枠内の白い部分には元々何も入っていなかったそうだ。
フレスコ画を入れたかったのか?
司教達の意図は謎だが、フランス革命軍の到着によって、
すべての装飾は途絶えた。


 1678年、公国が比較的安定している時期、Jean-Conrad de Roggenbach(そのため、「幸福な大公」というあだ名がある。在位期間1656−1693) 大公司教は、30年戦争による砲撃や占領で被害を受けた教会の改築に着手した。シンプルだった内部は、豪華なバロック様式へと、大幅な変貌を遂げた。
 前回でも少し述べた、バイエルン地方の化粧漆喰専修学校Wessobrunnの教師にして名工、Michael Schmutzerを招き、1年かけて天井一面に化粧漆喰を施した。1701−1703年の間、天井部分は化粧漆喰細工で描かれた聖母の生涯で飾られた。
 豪華さを増したイエズス教会は、1892年に押し寄せてきたフランス大革命軍により再び占領された。革命中は「理性の聖堂」と呼ばれたが、内部は荒らされ、やがて軍用商店となった。1796年にはフランス共和暦旬日の礼拝所、19世紀にはプロテスタントの礼拝に利用された。革命の火が収まると、建物は体育館として利用され、中二階部分は図書室となった。

 
▲壁の下半分、フレスコ画が削り取られている
中二階があり、19世紀には本棚が置かれていたそうだ。
現在は旧教会は多目的ホールとして生まれ変わり、
ポラントリュイの文化普及に貢献している

 1962年から1965年にかけてバロック様式に修復され、中二階をなくし、ギャラリーを復元した。そのギャラリーには、1985年、18世紀のオルガン(複製)が置かれた。このオルガンのオリジナル、Glauchauは、1730年にGottfried Silbermannによって製造され、お披露目式典には、かのJ.S. バッハも来たという。高度な音色を含めて、このオルガンの復元に成功した人物はJürgen Ahrend(1930年生)である。日本のオルガン奏者の間でも名高いこの樫製のオルガン、ヨーロッパ各地からわざわざCDの録音に来る音楽家もいる。たっぷりとした厳かな音色は、聴く者を、バッハが生きたバロック全盛時代に連れ戻してくれると言っても過言ではない。

 現在、この旧イエズス教会はジュラ州立高校付属ホールとして、音楽会や講演会など、様々な用途に利用されている。コンサートや観劇などで何度か足を踏み入れている私も、入場の度ごとに天井や壁の装飾に目を奪われずにいられない。近代的なコンサート会場に無い重厚な雰囲気に飲まれ、音と共に、古の司教公国への想像の旅が始まる……それが、私流の楽しみ方の一つでもある。



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Last Update: Sep.23,2007