看護の人間は聖マルト会の修道女が担当した。この修道会は15世紀にフランスのボーヌ(Beaune)にて設立され、修道女は市の病院にて献身的な看護を数百年に渡って続けてきた。彼女達のうち三人がポラントリュイに呼び寄せられたことが始まりである。看護者数はその後、順調に増えた。有産階級者の娘を対象に公募も行われた。選ばれた女性は二年間の修練期間を経た後、修道会入りした。
旧体制下の病院は、宗教施設として見なされていた。薬草がせいぜいで、現在で言う「薬」による治療はまだ行われていなかった。病院は「魂を救い、身体を養う」場所であるから、体を休めつつ祈りと信仰に忠実な生活を送ることが回復に向かう一番の療法とされた。
1792年、ポラントリュイ市はフランス革命軍により占拠され、以来、1814年までフランス国の一部となったが、この期間、初めて近代医学が導入された。薬局は1847年、ポラントリュイの高級家具職人Jean-Baptiste Carrazによって作られた。カエデ、コナラ、プラムやマツの木などが使われている。修道女はラテン語を読めなかったため、241ある薬の瓶(ガラス製と陶製)と引き出しの表示はフランス語である。
この建物は拡張工事を続けてベッド数を徐々に増やし、1956年まで病院として使われていた。現在は上記の薬局や市の貴重な文化財が収められている博物館、図書館、観光局、文化局などが入っている。時代を経て役目は変わったと言えど、依然として町で一番の美しさを誇る文化施設として大いに機能し、市民生活に役立っている。
Last Update: May.23,2006
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