六稜WEBの皆様、こんにちは。マルキ明子(97期)と申します。今回よりWEB上で連載を担当させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。 「小説を書いています」と言ってもまだまだ駆け出しの身。「知らんなあ。あんた、何者?」というお声が聞こえてきそうなので、自己紹介をしながら綴り始めてみたいと思います。 1966年、大阪生まれ。北野高校を卒業後、同志社女子大学英文科にて英文学を専攻。その後、住友信託銀行に勤務しましたが、バブル絶頂期に魔が差して退職。その二週間後には憧れの地、イギリスの土を踏みました。ケンブリッジ英検に受かって自信をつけて帰国し、銀行時代にはとんと縁が無かった「英語を使う仕事(かなり具体性には欠けますが)に就くんだ!」という希望に燃え、ステップアップのための語学留学でした。 ところが学校初日に昼食を共にしたスイス人男性と段々親しくなり、留学中の楽しみとして「おまけ」の筈の恋愛が大いなる人生の分岐点となり、帰国どころかそのまま後を追ってスイスに渡ってしまうという大波乱(自分の名誉のために言い訳しますが、英検は優秀な成績で受かりました)。1991年12月のクリスマス・イヴからスイス在住の身となりました。
留学先はWoking(ウォキング)という、ロンドンから電車で40分ほどの小さな町。後で分かったことですが、英語圏の留学人口の大部分はスイス人と日本人。確率的にもくっつく可能性が高い、というわけです。実際、私がスイスに来て友達になった日本人女性のほとんどは、イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ等の語学学校で知り合っています。
私と「未来の夫」がいた学校も御多分に漏れず、日本人、スイス人、スペイン語圏の人間(本国と南米)、アラブ語圏という順番の人種配布でした。当然、同じ語圏同士で固まるという、留学生として実にけしからん状況になるわけですが、出来るだけ避けたかった私は(自費留学でもあったし)日本人の友人とサウジアラビアから来た女性の三人で行動し、ずっと英語で会話をしていました。一方、未来の夫は自国の女の子とばかりつるんでいたのですが…。
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