太陽電池と「低い国」と〜民間企業研究者の海外転職記【第8話】
まえ メニューに戻る つぎ

オランダで家を買う《1》始まりは社宅から





▲ECN 年次報告書


 ECNのことを、同僚たちは会話の中で“company”と呼んでいる。オランダ語で何と呼んでいるかはよく知らないが、国際的な観点から見たECNの社会的な位置づけは“research institute”と言うのが妥当なところだ。しかし、日本で言うところの財団法人であるECNの職員は、公的組織の印象のある“institute”より、独立会計で運営している自負からか“company”と称することを好むようだ。また“research institute”というと、多くは教育機関も兼ねており、大学院生やポストドクターが研究の主体であることが多いが、ECNは教育機関を兼ね備えず、ポストドクター的な雇用も一般的でないことも“institute”とは呼ばない一因かもしれない。
 日本では、財団法人や社団法人、社会福祉法人などの職員は、自分の組織のことを「ホウジン」と呼ぶのが一般的なようだ。筆者も日本語の会話においては、ECNを「ホウジン」と呼ぶべきかも知れない。しかし、会社員の息子として育ち、自身も11年間会社員を経験した身としては、「ホウジン」という言葉は日常生活用語としては馴染みがない。“company”を直訳した「カイシャ」の方が自然なのだ。そんなわけで筆者は、日常の日本語会話においては、日本にいたときと同様自分の勤め先を「カイシャ」と呼んでいる。


▲社宅のある9階建てのアパート

▲社宅から南西方向を臨む

▲社宅から北東方向を臨む
眼下には木陰に隠れて運河がある



 ECNとの面接時に就労条件の説明があったとき、「君を雇った場合、君は最初の6ヶ月間“company house”に住むことができる」、と言われた。ECNのことを“company”と呼ぶ事情をまだ正しく理解していなかった筆者は、最初何を言われているのかよくわからなかったが、詳しく聞いてみると、住居であることがわかった。つまり「社宅」である。最初は「官舎」と理解したほうが正しいのかと思ったが、ECNにおける“company”という言葉の使い方を理解するにつれ、「社宅」という理解がより正しいことがわかった。
 ただ誤解のないように付け加えておくと、ECNが職員のために住宅を建てたのではなく、独立した住宅を資産として所有し、新規雇用した職員のために提供しているので、「社宅」と聞いて想像しがちな、近隣住民が全てECNの職員、という状況ではない。
 提供される社宅は、一世帯の家族が住むには十分の広さで、ベッドや食卓、ソファなどの家具、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などの家電製品の他、食器や調理器具、寝具にタオルなどが用意されるとのことだった。住居費や光熱費は6ヶ月の間はECNが負担し、その間に自前で住居を見つけて退去せよ、との条件もついていた。異国の地で生活習慣もわからず、不動産の探し方もわからない外国人にとっては、とてもありがたい条件に思えた。
 働き始めの2ヶ月程前、生活基盤の下調べや雇用契約への署名、同僚との顔合わせなどのため、ECNやアルクマールを訪れた際、筆者と家族が住む予定の社宅を見ることができた。アルクマール駅から旧市街と反対方向に歩いて15分弱、9階建てアパートの7階にその部屋はあった。すぐそばに運河があり、周辺に緑の多い閑静な地区であった。住居の広さはおよそ85平米、日本風に言うなら3LDKで、家族4人で暮らすには十分な広さといえた。

 当面住むところも決まり、引っ越しの準備に取り掛かった。日本で住んでいた持ち家は売りに出すことにし、家財道具も全てオランダに運ぶことにした。持ち家を残しておく選択肢、あるいは一部の家財を実家に残しておく選択肢もあったが、ECNが引っ越し費用を全額負担してくれることもあり、全てをオランダに送ることにした。
 問題は、既に家具が備え付けられた社宅には、日本で使っている寝具や食卓などの家具を置くスペースがないことであった。しかし、社宅は6ヶ月以内に退去しなくてはならず、その後の住居には必ずこれらの家具が必要になる。そこで、引っ越し荷物を3つに分けることにした。

▲船便は容積で金額が決まる



▲航空便は重さで金額が決まる

 一つ目は、社宅退去後までは必要にならないもの。社宅退去後の住宅が決まるまで国内の倉庫で保管してもらい、落ち着き先が決まれば船便で送ってもらうこととした。船便は基本的に重さではなく容積で金額が決まる。 家具、ピアノ、装飾品や、食器、調理器具、自転車、書籍などをここに分類した。電化製品は日本とは電圧が異なるため、もったいないが、ほとんど廃棄することになった。ビデオデッキとDVDプレーヤーだけは、ヨーロッパでは再生記録方式が異なるため、新たに購入した変圧器とともに梱包した。
 二つ目は、社宅で必要になるもの。出国後できるだけ早く入手できるよう、航空便で送ってもらう荷物である。こちらは重さで金額が決まる。当然船便より割高である。ECNが費用を負担してくれるので、少し欲が出て、必ずしも必要でないものもこちらに多めに分類した。
 まず、ほとんどの衣類はこちらに分類した。というのも、社宅では6月から最長12月まで住むことになる。まだ経験したことはなかったが、厳しく寒い冬も過ごさなければいけないと考えると、全ての季節に対応した衣類が必要と考えた。
 また、急に日本を離れることになったとは言え、成長中の子供たちは日本語を学び続けなければならない。そう考え、子供たちの日々の課題となる教材や、幼児向けの書籍も全てこちらに分類した。さらに、寂しい思いを少しでも紛らわせるように、全ての玩具とアルバムをこちらに分類した。見積もりで出た数字は600〜700kgだった。
 上の二つが業者が運ぶ荷物、残りの一つは渡航時にスーツケースに入れて持って行く荷物である。航空便が届くまでに当面必要な着替え、子供の勉強道具、オランダで入手が難しそうな日用品などである。

 業者による梱包と荷物の運び出しを終え、家族4人で実家に転がり込んだのが渡航3日前である。翌日に住んでいた家を不動産屋に引渡し、その翌日に8年11万キロ乗った7人乗りのミニバンを処分し、3日目に関空からシンガポール経由でオランダに旅立った。
 今思えばこのミニバンは惜しいことをした。新車から9年目の車は日本の中古車屋では値が付かなかったが、中古車の値段が日本に比べて格段に高いオランダでは、中古車市場で同タイプの車種・年式・走行距離を探すと、なんと、およそ6000ユーロもする。日本からオランダにこの車を送る費用は、手続き込みでも十分釣りが出たはずだ。もちろん右側通行の国で右ハンドルは不自然だが、英国から右ハンドルの車を持ち込んで運転しているドライバーも見かける。
 日本は何でも物価が高いと思いがちだが、少なくとも中古車の値段については西ヨーロッパと比べるとかなり安いようである。実際アイルランドでは、日本で値段が付かなくなった中古車が人気らしい。手続きの煩雑さや維持費の詳細について調べるのが面倒だったため、日本で車を処分することを安易に選択したが、これは早計だったかも知れない。

まえ メニューに戻る つぎ
Last Update: Jan.23,2007