太陽電池と「低い国」と〜民間企業研究者の海外転職記【第9話】
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オランダで家を買う《2》賃貸住宅への途(みち)



 オランダに到着して以来、仕事や生活への適応を図る一方で、社宅の次の住居を探すことが重要な課題となった。ただ、最初の一ヶ月は、生活をするための基本的な情報収集や、子供の学校への対応などで手一杯で、なかなか家探しのために時間と労力をかけることができなかった。学校の夏休みが始まれば本格的に乗り出そうと、心の準備だけはしておいた。
 職場や子供の学校、近所の人と、次々に新しい知人が増えていった。そのたびに、今は社宅に住んでいて、12月までに自分で家を見つけて出て行かなければならないことを、自己紹介がてら説明した。ほとんどの知人たちが、「じゃあどうするの、買うの?借りるの?」と聞いてきた。
 日本では永住権のない外国人がローンを組んで家を買うのは非常に難しいが、当時の筆者も似たような感覚で、家を買うことは選択肢に入っていなかったので、「とんでもない、借りるつもりです」と返答すると、「借りるのは高いよ、買ったほうが安いよ」と忠告された。


▲TE HUUR=入居者募集中

▲TE KOOP=売出し中




 オランダでは、賃借人募集中の家の窓には“TE HUUR”と書いたポスターが掲げられ、売り出し中の家には“TE KOOP”と書いたポスターが掲げられる。確かに、街中を見回すと、“TE KOOP”の付いた家はよく目にするものの、“TE HUUR”の付いた家は稀にしか目に付かず、賃貸の扱いがかなり少ないことに気がついた。不動産屋店頭に貼り出された住宅情報も、ほとんどが“TE KOOP”のものだった。
 ただ、購入するとなると、必要な手続きの量は賃貸の比ではない。口頭での会話はどのオランダ人も英語を使いこなすものの、紙に書かれたほとんどの情報や、ほぼ全ての手続きがオランダ語でなされることは、予想していたこととは言え困惑を誘うものだった。永住権のない外国人でも家を買うのは難しくない、と同僚や知人は教えてくれたが、意味のよくわからないオランダ語の書類の山に署名しなければいけないことに気が進まず、簡単な賃貸契約だけで事を済ませたい、という気持ちが支配的だった。しかし、賃貸を見つけるのも決して簡単な作業ではないということも、心の重荷になっていた。


▲ローハウス 一番右が問題の物件


▲問題の物件から見たアルクマール駅

 そんなころ、子供の同級生の父親から声を掛けられた。近いうちに今住んでいる賃貸を出るのだが、よかったらそのあとに住まないか、と。アメリカ人男性とオランダ人女性の夫婦で、前年11月にアメリカから移ってきたという。郊外に最近一戸建てを買ったが、賃貸契約は10月まで残っており、できれば早くに一戸建てに移りたいようだった。筆者らの状況に同情してくれたこともあるが、自力で次の入居者を見つければ、契約を短縮して賃料が節約できる狙いもあったのかも知れない。
 場所は学校から歩いて2分ほど、駅からはさらに近く、駅の正面口から1分かからないところにあった。賃料はこちらの予算枠をかなり超えていたが、学校にも駅にも近いのは魅力だった。
 夏休み前の日曜日に招き入れてもらったその家は、典型的オランダ住宅で、築100年のローハウス(長屋のように両隣と隙間なく何軒も繋がっている家のうちの一軒)だった。玄関は表通りに面しており、3階建て約135平米、さらに裏庭と物置があった。1階にキッチンと居間、2階にバスルームと寝室が2室と小部屋、3階の屋根裏にも寝室が2室と物置という間取りであった。筆者の家族には、広さも立地も少しオーバースペックだった。

 ところで、航空便で依頼した引越荷物はなかなか届かなかった。引越会社の確認漏れだったのだが、簡単な通関手続きで輸送できる重量を大きく超過していたのが原因だった。当初、航空便は一週間以内に届くと聞いていたのだが、それは一定重量以下の場合だけ適用されるということが、後になってわかった。欲張ってすぐ使わない余計なものまで詰め込んだのが徒になったのである。
 結局、住民登録や仮の滞在許可証などの書類がないと、航空便荷物は日本を発つことすらできず、到着したのは日本を出て25日ほど経ってからだった。その間、スーツケースの荷物だけで凌いできたが、航空便荷物の届くのがどれほど待ち遠しかったことか。

▲段ボール箱の内容品リストの束

 ところが、目一杯詰め込んだ航空便だったが、開いてみると本来入っているべき荷物がないことに気がついた。航空便・船便と、荷物を分類して梱包する作業は基本的には引越会社の作業員の仕事だった。なぜなら、税関を通るには、全てのダンボール箱の内容物の概要と大よその価値が表記されている必要があるので、素人である客が勝手に梱包しては、通関時のトラブルの元になるからである。
 筆者と筆者の妻は、荷物の分類の指示と、梱包後の各箱の価値の算出に専念していた。引越会社の作業員はベテラン揃いで手際が良すぎるほどで、筆者達は彼らのペースに追いつくのが精一杯、右往左往しながら指示を出していた。そのような状況では、航空便と船便の分類で多少の間違いが起こっても仕方のないことであった。

 航空便に入るべきだった荷物は、なくても凌げるが、できれば手に入れておきたいものだった。賃貸を契約すれば日本からの出港にゴーサインを出すことができ、ほぼ6週間後に荷物を手に入れることができる。一方で、米人蘭人の夫妻を10月まで待たせて11月からの契約とすれば、家賃や光熱費のかからない社宅暮らしを2ヶ月間長く続けることができる。あるいは、もう少し狭くて不便かも知れないが、もっと安い賃貸住宅を探すという選択肢もあった。

▲駅の裏手にある風車
 いろいろな迷いがあったが、よりシンプルな答えを2か月分の家賃と引き換えに手に入れることにした。社宅暮らしで中途半端に荷物を保留しておくより、積み出し時の記憶が残っているうちに全ての荷物を入手してしまったほうがいいと思った。新たに賃貸住宅を探し始めるのも億劫だった。米蘭夫妻の契約を2ヶ月切り上げる形で、9月1日入居の契約を取り交わした。契約書はオランダ語だったが、重要事項説明書は、不動産会社が英語で書かれたものを用意してくれた。

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Last Update: Feb.23,2007