取引されるチーズは、主にゴーダチーズと呼ばれる黄色い円盤型のフィルムで覆われたチーズで、ひと塊およそ10kgの重さである。日本ではチーズといえば要冷蔵の乳製品というのが常識だが、チーズは元来家畜の乳を保存食とするために開発された加工品なので、開封しなければ常温での長期保管が可能で、少しの間なら炎天下に晒しておいても問題はないようだ。 朝から広場いっぱいにチーズの塊が整然と並べられ、司会の進行に従って元売りの出品するチーズが卸売りに競り落とされていく。競り落とされたチーズは、揃いのユニフォームを着たチーズ運搬人によって独特の形のチーズ運び籠に載せられて、広場脇の計量所で古めかしい天秤を使って計量される。その後再びチーズ運搬人が広場の反対側に運んで行き、競り落とし人のトラックに載せる、というのが一連の流れである。 広場の周辺は金曜午前だけ張り巡らされる臨時の柵によって仕切られ、柵の周辺は観光客でごった返している。昔は競り落とし人はトラックではなく、広場脇の船着場に着けた船にチーズを積み込んだのであろうが、今は広場の船着場側には観光露店が軒を並べ、観光客の運河への転落防止に一役買っている。 当然ながらこのような形のチーズ取引は観光用の見世物で、今ではアルクマールの他は、チーズの産地として知られるゴーダとエダムを含む3ヶ所でしか行われておらず、規模と期間もアルクマールが最大・最長である。
そんなわけでアルクマールは、春夏の金曜午前の喧騒を除けば、至って静かな町である。もちろんそれ自身比較的大きな都市で、周辺の町から見ても中心的な役割を担っているので、商店が連なる通りは賑やかで、アウトレットのような大型店が集まって出店している地区もある。 筆者の知人の住民たちは、ほぼ例外なくチーズ取引の混雑が好きではないようで、永年住んでいても一度も見物に訪れたことがないという人も多い。筆者も京大での9年間の在学中、観光客が必ずと言っていいほど訪れる、金閣寺にも銀閣寺にも龍安寺にも清水寺にも行かなかったヒネクレ者であるが、観光地の住民というのはそれなりに複雑な感情を持って暮らしているようだ。
なお、1573年といえば、日本では織田信長が浅井氏・朝倉氏を攻め滅ぼし、足利将軍家を京都から追放した年である。その2年後の長篠の戦いは、世界で初めて大量の鉄砲を組織的に使用した戦争とも言われる。アルクマールの防備が固められた時代の兵器レベルも、信長の時代とほぼ同等と考えると興味深い。街区を取り囲む濠の要所要所に突き出た防塁に、濠を泳ぎ渡って侵攻してくる敵兵を狙撃する鉄砲隊が置かれたのだろうか。 その後アルクマールは、ナポレオンのフランス、ヒトラーのドイツによる外国軍の駐留を経験するが、直接の戦禍を蒙ることはなかった。1597年の古地図に記された通りや運河の配置は、今もほとんどそのままである。興味のある方は、Google Mapなどと見比べてみて欲しい。
アムステルダムを始めオランダの主要な都市では、どこでも運河クルーズが観光の売りだが、アルクマールの運河クルーズは一味違う。なんと、船に屋根がない。他の都市では録音された音声ガイドが周囲の建物の案内をするが、アルクマールではガイドがライブで案内をする。そして、ここが最も重要なのだが、ここの船ではボンヤリ座っていられないのである。座ったときの頭より低い高さの橋をいくつもくぐるのだ。そのような橋に近づくと、ガイドが必ず頭を下げろと警告する。警告に従わずに頭を怪我しても自己責任、実にスリリングな運河クルーズなのだ。 ここの運河クルーズを体験すると、アムステルダムの運河クルーズは退屈で仕方がないものになる。アムステルダムの運河クルーズは、本来観光客なら楽しめるものなので、アルクマールに来る前に、アムステルダムの運河クルーズを体験しておくのが無難かも知れない。 |