今回から2、3回ほどに分けて、筆者がなぜオランダに来ることになったか、なぜECNで働くことになったかについて書こうと思う。オランダに来る前の話題がほとんどだから、オランダの話は出てこない。それどころか、太陽電池に関する技術的な話がメインとなっている。オランダ紀行を期待されて読まれた方には申し訳なく思う。なるべく技術的に平易な言葉を使って表現したつもりだが、筆者の文章力の未熟さから、一般向けに分かりよい文章でないことを、あらかじめお詫びしておく。
この出来事は、当時小学校1年生だった筆者に強い影響を与えた。エネルギーや資源の大切さを身に沁みて植えつけられただけでなく、新しいエネルギー源を生み出すために何かをしなければならないという気持ちを生み出させたようである。「将来は、科学者になって太陽エネルギーから石油を作りたい」と題した小学2年のときの作文が、実家の押入れに眠っている。 とはいうものの、子供にはありがちなこと、筆者の「将来なりたいもの」がずっと持続して「科学者」だったわけではない。「なりたいもの」が1年以上持続したことなどほとんどなかったろう。ただ、ケチ臭いほどの節約主義と、資源枯渇への不安感は消し去ることができなかったようである。中学校の文化祭で「未来」をテーマにクラス劇を企画した際、筆者は「石油のない未来」を提案し脚本を書いた。
京大の電気系学科は、発電機や電力輸送といった発電に直接関係のある分野から、核融合発電、電波によるエネルギー伝送や電子素子による光電変換といった新しい分野まで、多様なエネルギー源について学び、専攻として選ぶことができた。小学2年の「科学者になって太陽エネルギーから石油を作る」という思いが明確に蘇った。幸運なことに筆者は、電子素子による光電変換―――即ち太陽電池―――をテーマとして選ぶことができた。実際は石油を作るのではなく電気を作るのだが、幼い頃の夢の第一歩を踏み出せたわけである。こうして筆者は、大学4年の卒業研究から、大学院修士課程・博士後期課程までの合計6年間、材料に変遷はあったものの太陽電池の研究に従事することができた。
最近、住宅屋根などところどころで目につくようになった太陽電池は、ほとんどがこれまで使われずに捨てられていた太陽光エネルギーを電気エネルギーに変換して利用しているので、石油などのエネルギー源の節約に貢献している。太陽電池とその周辺機器を生産するのに要したエネルギーをその太陽電池自身の発電によって回収する期間は、最近の世界の生産量を考慮した試算では2年前後と予想されており 、20年以上とされている太陽電池の製品寿命に比べてじゅうぶん短い。
太陽電池の生み出す電気は乾電池などの一般の電池と同様、直流の電気である。住宅などに取り付けられた太陽電池の電気は、交流への変換機(パワーコンディショナー)を通して家庭用に供給されている。家庭で使いきれない分は、電力の引込み線を通して逆流させ、その逆流分を電力会社に売っている。太陽電池の発電量は日照条件に左右されるが、太陽電池を屋根に取り付けている家庭は、好天時など太陽電池での電力が使いきれなければ電力会社に売り、夜間や雨天・曇天など電力が足りないときは、通常の家庭と同様電力会社から電力を買っている。 太陽電池での発電エネルギー量が、現在世界のエネルギー需要にどの程度貢献しているかというと、2004年の時点では残念ながら僅か0.03%である。ただ、ここ数年の太陽電池の生産量の伸び(毎年30%以上増加している)から、国際エネルギー機関(International Energy Agency)が中心になって試算した数字では、2010年に0.1%、2020年に1%、2030年に10%がそれぞれ期待されている。現在のペースで生産量が増えていけば、20〜30年後には世界のエネルギー事情をある程度改善できることになる。 ※太陽電池の需要の伸びに、原材料のシリコンを高純度化するための生産設備の増強が間にあわず、2006年現在、高純度シリコン材料が不足している。この状態は2008年には解決すると言われている。 |