ゲルマン人たちがローマの進んだ文明を破壊してから幾百年、彼らがローマの遺産を食い尽くし、周辺領域への拡張に転じ始めた頃、ヨーロッパ半島の北西に住む一部のゲルマン人たちは、ある者は海を越えブリテン島へ、ある者はスカンジナビアを目指した。 そして、海を渡らず逆に海を堰き止めて、耕地を増やし牧草地を増やし、居住領域を増やしていった者たちがいた。新しく増やした土地はしばしば海面より低かったが、常に北海からの強風にさらされるその地では、新しい土地から水を汲みだすのに風の力を利用することができた。そして、急な増水を速やかに遊水池に導けるよう、運河が張り巡らされた。
いつのころからか、その地方は「低い国」、そこに住む人たちは「低地人」と呼ばれるようになった。21世紀初頭の今、その「低い国」には、1600万を数える人が住んでいる。歴史上たくさんの移民を寛容に受け入れてきたその国には、ゲルマン人たちの子孫に限らず、多くの肌の色の異なる人々が住んでいる。 2005年7月から筆者は、Energy research Centre of the Netherlands というところで働いている。オランダ語で表記すると、Energieonderzoek Centrum Nederland、一般にはECNと呼ばれている。日本で言うところの財団法人的な組織で、運営予算の3割ほどがオランダ政府からの交付金で賄われている。持続可能社会実現のためのエネルギー技術開発を目的としており、石油など化石燃料の低排出利用技術、太陽光・風力などの自然エネルギー、エネルギー利用効率改善技術、エネルギー政策の研究などが主なテーマである。筆者はここに、太陽電池グループの研究員の一員として加わった。
16世紀末にオランダ人が初めて日本に来航した際、オランダ(Nederland)はHolland地方を含むいくつかの地域連合による実質的な独立国だったが、宗主国スペインはまだ独立を承認していなかった。当時日本に地歩を築いていたスペインの友邦ポルトガル人達が、「彼らは(スペインの領土である)Holland地方から来た」と紹介したことで、日本では「オランダ」と呼ばれることになった。 脱線ついでにもう一つ。イギリスを英国、イギリス語を英語と呼ぶのは、オランダ語で言うところのイングランド語(あるいはイングランド人)Engels に由来する。「イギリス」はEnglishが訛ったものであるが、江戸時代の日本人はオランダ風に「エゲレス」と呼び、漢字の当て字を考案した。現代の日本人が最もよく関わりを持つ外国語を「英語」と呼ぶのは、実はオランダ語が起源だったのである。日本人が蘭学に傾注していたころの名残と言えるだろう。 |