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日時: | 2005年9月21日(水)11時30分〜14時 |
場所: | 銀座ライオン7丁目店6階 |
出席者: | 48名(内65会会員:江原、梶本、山根、峯) |
講師: | 野口 藤三郎氏(53期) |
演題: | 「正しく歌おう北野の校歌」 |
講師紹介: | 53期に卒業後、同志社大学経済学部卒。旧制中学〜大学時代は音楽部にてヴァイオリン担当。戦争中は呉の大竹海兵団に配属された後、選抜されて海軍対潜学校にて水測術を学ぶ。戦後京都の府立高校社会科教諭を経てプロのミュージシャンとなりタンゴ、ラテン音楽などの演奏活動を行なう。その後自から楽団主(バンドリーダー)となりラテン音楽の「キューバン・サンダース」、シンフォニックジャズオーケストラの「リズム・エアーズ・オーケストラ」を誕生させる。北野高校120周年の祝典には六稜楽友会の会長としてベートーヴェンの「第九演奏会」を実施した。 |
講演内容: (要点のみ) |
(1)自分は1940年(昭和15年)に北野中学を卒業したが6年間音楽を勉強した(注:音楽に熱中しすぎて一年生の時落第)。なお、昭和15年というのは皇紀2600年である。 話を始める前に全員で北野の校歌を歌おう。 (・・・・・全員起立して校歌斉唱・・・・・) (2)今校歌を聞いた。これについて話を始めると直ぐ終ってしまうので暫く雑談をしたい。自分の北野中学時代は音楽ばかり。大学も兵隊も音楽で如何に得をしたか。例えば戦争中海兵にいた時音感テストがあった。音を一つ聞かせてそれが何の音かを全員に訊く。自分にとっては何でもないこと、直ぐ判ったので手を挙げると教官が驚いた。G(ドレミファのソの音)ですと正解すると、今まで手を挙げた者もおらずましてや正解する者など誰もいなかったとのことであった。 (3)水測術は水中聴音機を使い敵艦の位置を知る。これに関する映画でショーンコネリー主演の「レッドオクトバーを追え」という映画があった。女性は最初と最後にスチュワーデスが出ただけで出演者は男性ばかりというユニークな映画。現在は「ソナー」という最新鋭の機械があるが、ロシア製造の原子力潜水艦はこの機械でも判別出来ない程高性能のもので、これを追いかける面白さがあった。 (4)水中音は大別して5種類ある * 一般の商船や貨物船はレシプロエンジンで「ゴットン、ゴットン」 * 漁船などの小型船は焼玉エンジンで「ポンポン、ポンポン」 * 小さい駆逐艦などはディーゼルエンジンで「ドゥルルルル・・」 * 大型戦艦はタービンエンジンで「キィ−ン」 *潜水艦は水中では電動機特有の「タカタ、タカタ」という綺麗な音 これらの音を聞き分けてこっそり走る潜水艦を見つけるのが我々の仕事。潜水艦接近の音を聞き分ける場合、かなり接近しなければ分からない人と、相当離れた距離でも分かる人との違いが出る。自分はかなり遠い距離でも分かった。日本の船は米軍に殆んど撃沈されたが自分の乗っていた船はやられなかった。 (5)音楽の三要素は、リズム、メロディ、ハーモニーであるが完全4度の和音が最も美しい。又、長音階(Major Scale)、短音階(Minor Scale)に分かれるが日本の歌は短調が多い。有名な旧制第一高等学校寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の楽譜は長調であるが一般の人は短調で歌っている。「君が代」も、六稜の校歌も長調、「荒城の月」は短調。外国の国歌は殆んど長調である 【…ここで六稜の校歌を1番から5番まで全員起立して歌う…】 一.六稜の星のしるしを 青春の額にかざし 紅顔の子弟千有余 日に通う北野高校 二.そのむかし難波御堂に 堂島に、次ぎて北野に 育英の門を開きて 百有余年花は薫りぬ 三.淀川の深き流れよ 六甲の雲いる嶺よ 名にし負う大阪の城 天才の高きかたみよ 四.天然とはた人間と とこしえに われの亀鑑 眺むるも胸のときめき 嗚呼友よ奮わざらめや 五.大東の邦の運命 青春の肩にかかれり あゝ母校北野高校 その健児励まざらめや 今校歌を歌ってもらったが注意点が幾つかある a)1番から2番、3番と歌っていくに従いテンポが速くなってくる。ゆったりした同じテンポで、はっきりアクセントをつけて歌うこと。又、出だしは「一拍休んで」、ひっかけて歌う b)3番の2行目「名にし負う・・」は「なにいしおう」と「い」を入れて歌うこと c)4番1行目「とこしえにわれの亀鑑」は「われら」と歌う人が多い。「われら」ではなく「われ」である。また「亀鑑」は「かがーみ」と歌わず「かんがーみ」と「ん」を入れて歌うこと d)5番の最後「その健児励まざらめや」は一拍を2倍に延ばし、リフレイン(繰り返し)すると綺麗に終われる ※なお、一つの実話として、第2次大戦の時、連合軍とドイツ軍が戦闘を一時中止して「リリーマルレーン」という歌を共に歌ったという話がある。先ずフランス軍が歌い始めドイツ軍がこれに唱和して歌ったとのこと。音楽には本当に凄い力があるものである。 【報告者注】 全員起立で校歌を斉唱した際、「声が小さい」と何回もやり直しさせられ、また上記の注意事項についても繰り返し練習させられた。84歳の高齢にも拘らず驚くほど大きな声で歌唱指導をされたお元気な姿に只々敬服するのみ。なお講師は、六稜WEBの「われら六稜人」第27回に「ある音楽家の生涯」として詳しい記事が掲載されているのでご参照頂きたい。その中に面白い一文があるので以下に抜粋してお伝えする。
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