一 北野の里にうるはしく みがき立てたる學の屋
千引の岩のうごきなき 基はかたし千代八千代二 御代の惠のつゆおひて 繁りさかゆくまなび草
おのがさまざま年毎に めでたき花ぞ咲きぬべき三 つねにたゆまず怠らず 勵みつとめよ勉めなば
まなびの花のかぐはしく 誰が上にかは咲かざらむ1902(明治35)年6月1日 午前10時より来賓・職員・生徒約800人が出席して落成式が挙行された。式次第の一部を紹介する。「校長挨拶、君が代、教育勅語捧読、勅語奉答の歌、工事報告、知事式辞、落成式祝歌、来賓祝辞、校長答辞、校長挨拶」
高崎親章大阪府知事は式辞の中で「本校舎ハ務メテ堅牢ヲ旨トシ、教室其他ノ配置等、之ヲ旧校舎ノ得失ニ鑑ミ、其構造宜ニ適ヒ、教養上数多ノ利便ヲ進メタルヲ疑ハズ。惟フニ、中学ニ於ル教育施設ノ良否ハ、直ニ国運ノ消長ニ影響スベシ」と語り、新校舎完成後も、校長以下職員が職務に精励することを大いに期待した。来賓として小山健三大阪市教育会長が祝辞を述べた。
式は12時に終わり、1時から陸上大運動会が開催された。1周200mのトラック上で、様々な競技が行われた。種目は次のようなもの。徒歩(徒競走。200m・400m・600m)、提灯競走、戴嚢、二人三脚、旗拾、逆立競走、袋飛、長距離競争(20分間に4,500m走った者を優勝者とする)など。在校生の他、卒業生・他校生・来賓も出場した。7時頃に全て終了した。