ケントウッド高校派遣団1998
付添日記●ケントウッド高校訪問記
出発まで
年内にほぼ派遣が確定。パスポートの準備、プロフィールの送付など。年明けから本格的に動き出す。旅行社との打合せ、生徒、保護者との顔合わせ、阿武野高校との顔合わせなど、国際交流の先生方にお任せしたので、気分的には楽だった。自分がスタッフならどれだけ大変だろう。改めて仕事の大変さを痛感。頭がさがった。私の個人的な希望もいれてくださり有り難かった。
持ち物、土産もの、お小遣いなど今までに行かれた先生方からアドバイスをいただいたので助かった。持ち物はホームステイなので常識的な物以外何も要らない位だった。ほとんど何でも借りることができた。
土産ものは少し値のはる日本風のもの(2件のホスト用)以外細々と有ったほうが良い。私は残るくらい持っていってしまった。(内訳:漆器のおぼん、あいぞめの暖簾、金刺繍のタピストリ、和菓子、絵はがき、浮世絵風の手ぬぐい、風呂敷、財布、子箱、しおり、おはじき、かるた、お手玉、駒、扇子、団扇、折り紙、絵など…それ以外に学校からアルバムや同窓会からCD、手ぬぐい、井上先生からはバッジ、上田先生からカフス、ネクタイピンなどいただいた。とても助かった。)
お金はVISAカードでほとんどいけた。あとはキャッシュで10万ほど、現金で5万ほど財布に入れておいた。加藤先生から簡易の野立てセットをかり重宝した。E-mailアドレスを持つべきだった。(結局は学校に送らせていただいたが。)
ケントから戻って来てもう一か月になるが、いまでもあの夢のような2週間のことを思い出すと胸に熱いものがこみあげてくる。
向こうで出会った方から言葉では言い尽くせないくらい親切にしていただいた。並みの親切心ではなかった。心細い異国の土地で余計身に染みたのかも知れない。
ケントに行こうと決めたのは夏頃だった。いろいろな理由があった。外国に友人もいた。海外旅行の経験もないことはないが、アメリカの高校生活の経験は恐らくこのチャンスを逃してはもうないだろうと思った。
たまたまシアトルの近くに古い友人がいたのも偶然だった。彼や彼の家族に会えるのも大きな魅力だったのは事実だ.そして何よりも生徒にいろいろ話してやりたかった。実際のアメリカの高校のことや、生活のことを。彼等が授業に乗ってきたときに見せるキラキラとした好気心に満ちた目の輝き。それは教師自ら苦心しなければ得られない快感だった。それを得るために海を渡るのならやすいものだ。そして実際私が得たものは、当初の思いを遥かに越えるものだった。
Last Update : Jul.27,1999