村上正己『デモシカ先生奮闘記』より
四、北中の教育ママ
名古屋時代に大阪の小学校について面白い話を聞いていた。大阪では盆、暮のつけとどけが慣習化していて、多数の児童の宅から受持の先生へ贈物がされる。もらう先生からすると座蒲団を三十枚もらったり、砂糖を百斤ももらったりすると処置に困る。
そこで担任の先生はあらかじめ児童へ品物の割りあてをして、Aのうちは砂糖、Bは酒、Cはタオルと持参するものを通告するというのであった。ことの真疑は知らないが、いかにも大阪らしいと話しあったのである。
大阪へ着任してみるとなる程ママの訪問が多い。それもぎあますインテリでなく、店の主婦であったり、小企業のおかみさんであったり言わば実利主義の人人だ。試みに生徒に両親の学歴や職業を書かせたところ、大学高専出身者は極めて少数で五十人中六、七名で、しかも大学出身者は医者だけであった。
面白いことにこの高等教育を受けた者は四名の医師を除いて全部月給取りである。中等学校卒や小学卒は多くは商人で、中に数名小きな工場主があった。これ等の人人は商売はやるが、勉強のことは何にもわからんので先生様にまかせるというのが常であった。小学校時代は教育ママであっても、中学一年生ともなるともうママでは勉強の内容に手が届かない。先生様万事よろしくと頼む。
こうなるとやり甲斐のあるような、無いようなうつろな気分になる。うちでもしっかりしつけますが、学校でもどうか根性のある子供にしつけてくださいと頼まれると、よしっと気合いがはいるがあなたまかせと聞くとぬるま湯のように感じられてならなかった。
ある中年の母親が訪ねて来た。ごく素朴で身なりも落ちついている。
「気が弱い子で・・」
「そう、お宅は何か清涼飲料水を製造しておられるようですね。」
「はい、そうです。ラムネやサイダーを製造販売しております。今から忙しゅうなるところです。」
「夏の商売ですねえ。ご主人もずっと家で・・」
「そうねえ。半分半分位でっしゃろか。製造は家ですけど、商売に出はりますよってに。」
「そうですか。僕の組にいるのは長男でしたね。」
「そうなんです。勉強のほうがもひとつあきまへんよってに。お目だるうおますやろうけど・・。」
「いやいや、まじめなお子さんです。 組でも一番まじめと違いますかな。親の言うことようきくでしょう。」
「え、え、そりゃおとなしい子です。けど先生父親にちっともなつきしません。滅多に話もしいしまへん。困ってますねん。」
「ほう、そりゃお父さんがやかましい訳ですか。」
「それが先生、うちの恥を洗いぎらい申し上げないとおわかり願えないと思います。うちの主人、子供を抱いたことあれしめへん。よそのお方から見たらおかしいと思いはるでしょうが、本当です。小さい時分からどないに泣いていても、笑っていても知らん顔して、一ペんも手をさし出したことおまへん。」
「ほう、可愛くないのでしょうかね。不思議ですね。」
「そうです。よっぽど変わってはります。よそからお菓子いただきますやろ。そしたら大ていの親は自分で食べないでもまず子達にやりはりますでしょう。うちの主人は全然です。自分独りで食べてしもて、子供には一つもくれはりしめへん。長い間つれ添っていて、唯の一ペんもわが子に菓子や果物やったの見たことありません。」
「それはまた聞いたことのない変わり様ですね。甘いものが好きですか。」
「ええ、ええ、それは甘党で、お酒は一滴も飲みはりしめへん。」
「それじゃ親父に親しみを感じないのが当り前ですな。奥さんの方から少し旦那さんに言うてあげたらどうです。」
「それが先生駄目なんです。私が口を出すと、女のくせに何言うか、だまっとれとどなりはりますよってに、何にも言わりしません。というて愛情がないという訳でもありません。あれが北中へ入学した時は大層喜んで、自慢して友達に電話をかけた位ですから。そいでも本当に可愛いというような顔をしたの見たことはありません。やっぱりほかの親衆にくらベると愛情が薄いのでしょうね。」
「大きくなったら反抗するかも知れませんね。今の中はまだよいけど。」
「主人は小学校を出たばかりで、小僧さんからたたかれたたかれて一人前になった人ですやろ。そりや金儲けは上手です。よう儲けはります。先生あれは子供が中学へ行くのに多少しっと心があるのと違いますやろうか。自分が中学校を出てないのが何やらしこりになってるのと違いますやろうか。」
「さあ、その点は私には判断ができませんがね。僕にとっては、そのお父さんの性格によって子供が歪むのが一番心配です。第一かわいそうでないですか。私もよく気をつけて指導しましょう。」
「何かお気づきのことがあったら私に電話していただいたら直ぐ来ますよってに、先生助けると思うて本当によろしお願いします。」
と言って帰って行かれた。長い教員生活でこんな父親のこと聞いたことがない。空前絶後である。幸に子供はぐれることもなく高校に進学したのであったがその後のことを聞かない。
「母親が来るのが当り前ですが、今病院にいますので、私に行って来いと言うことで来ました。私は先生の組でお世話になっているYの家庭教師です。」
と名乗るのは大学生、ハンサムで好感のもてる青年であった。
「そうですか。Yからお母さんは入院してると聞いたのですが、胸が悪いとか・・。」
「そうです。何しろ無茶苦茶に働きはりますよってに、ああして時折ドックにはいりはります。なに、心配はありません。休養のためですよ。」
「そうですか。僕は胸と聞いて案じていました。Yも人なつっこい子ですね。甘ったれてね。
いつもにこにこして人気者ですよ。」
「そうです。人の良い子でね。大きな家で平生は女中さんと二人ぎりでしょう。姉さんがあるけどお稽古ごとやなんかで留守勝ちですしね。」
「お母さんも今は病院だけど、平生あまり家へはいませんか。」
「事業の鬼と言いますかね。女手一つであそこまで仕上げた人でしょう。男まさりで頭の中には仕事のこと以外は何にもないでしょうな。僕のような青二オに、子供はあんたにまかすよってに、兄貴になったつもりでぴしぴしやってくれと言われるですよ。でもね、人を教えるのはむつかしいですね。」
「主人は早う亡くなったですか。」
「そうらしいです。でもご主人の生きてる中から女傑で、あの人の力で大きくのし上ったのですから。」
「そうですか。自分で切り拓いたですか。一旗組ですな。」
「元は劇場の片隅でお菓子や氷水を売っていた人ですからね。この間も身の上話を聞きましたがね。氷店を開いている時、今と違って氷の卸屋まで自分で氷を仕入れに行かなきゃならなかったそうです。なんでも氷屋が二軒あって遠方の方が少し安い。安いがそこから氷を持って帰る間に氷がとけるので、安いのが安いにならないのではないか、と考えたそうです。
やってみると少しはとけてもやっぱり安い店のを買う方が少し得になるということがわかった。そこで暑い夏の日をわざわざ遠方まで仕入れに行ったと言うです。ほんとうに爪に火をともすようにして蓄めたようです。」
「面白い、中々科学的じゃないですか。しかしなんぼためても売店では知れてますな。」
「そこです。小金をためたってほんとうに小金で知れてますが、出世する人は違うと思いましたね。とうとう劇場を買いとったそうですよ。それが出世のはじまりですね。買いとった劇場で、出雲のどじょうすくいをやらせてあてたそうですよ。アイディアも面白いと思いました。」
「人の考えつかない処をつきますね。金儲けはそれですな。」
「自分で苦労しただけあって人情に厚いようです。今はY組というて随分芸人もいますし、上海方面までも興行に出るようですが、あそこにはストライキの起こったことがありません。
あの人の声一つで万事かたづくそうですよ。」
「仕事も仕事だが、女の幸福は子供にあると僕は思いますね。もっと我が子のことに熱情を傾けてもらいたいです。そこが女傑の一番の欠点でしょうね。」
「先生に何かお気付きのことが・・。」
「いや、この間ね。私の組の生徒に我が家と言う題で書かせたのですよ。教壇から見れば一人一人は唯の五十分の一にすぎない存在ですがね。書かせてみればその一つ一つが雀であったり百舌鳥であったり、それぞれ個性を持ったユニークな存在なのですよ。Yは素直に家のことを書いていますが最後の所に僕は淋しいと書いていましたよ。私は十年あまり中学校の教師をやっていますが、僕は淋しいと書いた子は初めてですよ。如何にも淋しさがにじみ出ている感じで、じいんと胸にこたえました。これは一生忘れられません。あの人なつっこい顔に淋しいという句がぴったり結びついてねえ。このことはお母さんにもよく伝えておいてください。」
と私はYの書いた作文を持ち出して見せた。青年はくい入るように見入り
「僕も出来るたけ、よい友になってやりましょう。」
としんみり話す。
「兄貴のつもりで仲良しになってやってください。」
と言って別れた。
最も素朴な訪問者はSの母であった。頭の髪をつかねて、みな縦縞の着物に無雑作に帯をしめ、にこにこしながら玄関での挨拶である。まあどうぞとすすめても容易に上らない。
「あたいみたいな者がお邪魔して・・。」
と謙遜する。無理にすすめて漸く座敷に適すと、主人の苦労したこと、今、成功してること等こまごまと話す。天衣無縫である。それによると主人はなかなかのアイディア・マンで長い苦労積んで技術を覚え、今ではアルマイトの成形をやっているとのこと、職人さんも何十人か憤って、盆やら湯わかし等々を造っている、一ぺん使うてみておくれやせとその製品を三つばかりもらった。
「先生様、あたいのような田舎者、ええそりゃ主人も同じだす。勉強のことなんにも知りしめへん。主人も私も高等小学校を出たばかり、それから主人はずっと大阪で修業しはりました。仕事はようしはりますが勉強のこと知りはりしめへん。・・そりゃ先生、親の口から言うのおかしと思いはりますやろけど、本当にあの子ええ子です。」
と私の担当している自分の長男をほめるのである。
「北中言うたら先生、みな小学校で級長か副級長してはるお子さんでっしゃろ。私とこみたいに五番ちゅうような子いてはりゃしめへん。そんでもどないな風の吹きまわしか入れてもろうて、そりゃわても主人もうれしうてうれしうて発表のあった日い寝らりゃしめへんね。
ほんまにうれしおました。もう勉強は優等ということ望めしめへん。いつまでも素直な良い子でいてくれと、そればっかりを祈ってますよってに、先生、先生の思いはるように何でもよう教えてやっておくんなはれ。」
と深々と頭を下げる。
「おとなしい子で、この間も掃除してるのを見ると、独りで骨おしみせずにやってました。
きっとお父さんの仕事を引きついでしっかりやってくれると思いますJ
「先生、あの子のためになるならお金はいといませんで・・というて大金持という訳じゃおまへんけど・・主人も私も小学校だけしか出ていませんよってに、先生に万事おまかせします。宜しうお頼みします。」
なお今、家を新築中なので、完成したら是非きてくれと言って帰って行かれた。大阪は面白い所だと痛感する。
Last Update: Feb.23,2000