村上正己『デモシカ先生奮闘記』より
三、嘘と駆引き
前にも書いたように僕の家は船持ちで石炭を九州で買ってこれを瀬戸内海の塩招へ売りつけるのが商売であった。親父は家に居って船長からの情報を待つのであるが、船が馬関の瀬戸(関門海峡)をおとすと電報がはいる。すると坂出や備前や赤穂へ、石炭の相場を問いあわせの電報をうつのが常であった。坂出に向かってはアジノ四八センウェハタラク、キチイカニスヘなどと書く。四八センとは百斤の相場である。この電報をうつ役目が僕であったが、四八センなどとは全然嘘なのである。最初そんな嘘を打電するのに気がひけたが、親父に言わせるとそれが駆引きというものだそうである。だから僕は少年時代からこの駆引きには慣れていた。
それは嘘とは紙一枚違うと自分では考えていた。
ある日受持ちの組へ出ると、廊下側の硝子が一枚割れている。休憩時間中に誰かが割ったに違いない。
「誰が割ったんだ。」
と尋ねたが誰ひとりロを開かない。
「硝子は自然に割れるはずはないだろう。誰かが当ったかボールを投げたかしたに違いない。
正直に言いなさい。」
と追及しても返事がない。誰かが小声で
「よその組の者じゃろ。」
「そうだろう。」
などとささやいている。
「この組の中にはないのかね。誰も知らんというのはおかしいと思うが、誰か見た者はないのかね。」
と尋ねても、一人として申し出る者はなかった。やむなくその場はそのまま過ごして、後で級長を呼んで聞くと、自分は見もしないし全然知らないが、皆の話によるとSがやったらしいと噂しているという。Sは小柄な茶目っ子ではあるが、悪太郎ではない。早速Sを呼び出して尋問した。
「お前がやったのと違うか。」
「違います。僕絶対にやりません。」
「そうかね。それでも君がやったのを見た者がおるよ。」
「違います。人違いです。僕は昼の休憩は運動場にいました。」
「そうかね、運動場で何をしておった。」
「遊んでいました。」
「何をして遊んでたんだ。」
「キャッチポールをしていました。」
「誰とやってたんだ。」
「一組のMです。」
「Mとはいつも遊ぶのか。」
「はい。」
「小学校が同じなのかね。」
「違います。でも仲がええです。」
「そうか、そんならMを呼んで聞いたらわかるね。」
「・・・はい。」
「では聞いてみることにしよう。」
と言ったものの、一組は僕は教えていないのでMいうたってどんな子か知らない。そこでもう一度、念をおした。
「間違いないな。」
「はい、決して嘘ではありません。」
「誓えるな。」
「はい。」
とすらすらと答える。疑問を挟む余地もなく、純情そのものに見えたので釈放した。職員室で同僚にこれを話すと、
「大阪の子はうまいこと嘘つくよ。ころりとだまされるから注意しておけよ。」
とのことである。でもあの子がやったとは思えぬ。いかにも神妙な答えぶりであった。しかし、念には念をいれよということもある。級長はSに違いないと言っているし、この子をも少し洗ってみる必要がある。翌日再げSを呼び出した。
「お前きのう嘘言ったな。馬鹿者!」
といきなりど鳴りつけたら
「すみません。」
とあっさり甲をぬいだ。あっけない降伏である。
「何をしてて破ったのだ。」
「ボールを投げたです。堪忍してちょうだい。」
面白いことを言う。堪忍してちょうだいとは流石に大阪流である。一中では十年問一回も聞いたことのない言葉だ。
一体何故嘘を言うのだろう。ルソーによると嘘は弱い奴が身を護るための武器だという。これは面白い発見だ。弱い者が暴力から逃れて生きのびるためには嘘も必要である。殊に女性の場合はそうである。野獣のょうな男性に力で対抗しようたってできるものでない。舌三寸で軽くいなすことは、兵器に勝る神様の与えた天性であろう。女は嘘つきだと非稚する前に男性は女性に与えた脅迫を歴史的に反省する必要があるのではないか。といって習い性となって男性をだます手練手管は、行きすぎで神への冒涜であろう。
一中の生徒は粗暴で先生をこわがらないから墟は少なかったのに反して、北中生にはぼんぼんが多くて性格が弱く、その弱さをカバーするために嘘が発達したのであろう。それは女性の場合と同様である もっとも商人となると嘘は駆引きである。ばれてあやまるのは下の下で、ははあと笑ってすませる域にならぬと一人前でないときいている。浪速っ子はおむつの時代から駆引きが身にしみこんでいるのかも知れない。
駆引きに慣れると他人の言うことを一応疑ってかかるが、根が馬鹿正直な先生は疑う習性がない。だから今度はだまされまいぞと心していてもまたころりとだまされる。この故をもって先生のセコハンは使いものにならないのだろう。
Last Update: Feb.23,2000