村上正己『デモシカ先生奮闘記』より

        大阪の第一印象


       大阪へ着いて街を歩いて最初に感じたことは飲食店の多いことであった。食い倒れとはよくも言ったものである。名古屋のような食べ物の粗末な所から来ると、雲泥の相違である。それもパリッとした料亭でなくて、「縄のれん」や、「めし」と書いた提灯をぶら下げ、徳川時代の風情を宿したいっぱい屋である。ごみごみとした町中に昼間見たら不潔そのものの掘立て小屋があるのであるが、夜ともなればそこへホワイトカラー族がひしめくのであるから面白い。

      「まむし」とあるのでどきりとしたら鰻のことだと教えられた。「てつちり」とは「ふぐちり」のことだそうで、大阪ではふぐは条例で料亭では出すことを禁じてあるので、てつちりとしてあるとのこと、このあたりいかにも大阪らしい。てつとは何の意味かと問うたら、てつとは鉄砲の略語で、鉄砲があたるというのをふぐがあたるになぞらえたんだという。万才流の知恵である。といってもちりはよろしいが、刺身はサツのお目こばしにあずかれないで御法度だそうだ。

       着任五日目、友人が歓迎の意を表して南とやらへ案内し、法善寺横丁へつれこんでくれた。
       「この酒はうまいね。」
       「お前これ白鷹だぜ。」
       「白鷹か黒鷹知らんがうまいねえ。」
       「お前、酒の本場へ来たんだぜ。灘の生一本だよこれ。」
       「ふうむ、名古屋の地酒と違うわい。それにこの蟹酢もいける。十何年間忘れていた味だな。

       これは良い所へ来たわい。 故郷の味だ、やっぱり瀬戸内海の魚はうまいね。」
       「いや、大阪の料理だよ。 こんな料理名古屋ではよう作らんよ。」
      と彼は大いに大阪の御利益を説いたが、正にその通り、大阪はすばらしい。したたかよばれてさてめしにしようかと注文するとおかみが
       「赤だしはどうだす。」
      ときく。お前どうすると友がいうので、うんもらおうと言ったら、赤色の味噌汁を持って来た。
       「なんだ。赤だしとは味噌汁のことか。」
       「お前知らないのか。」
       「うん、そんなこと知るもんか。 飯の時に聞くから何かさっぱりした食べ物に違いないと思ってたのさ。」
       その赤だしもまた気に入った。正しく庶民の町である。北令吉先生に言わせると大阪は知的水準が低く、講演する場合でも中学の下級生に話すつもりでやらないと駄目だとのこと。難かしい学問は育たない地かも知れぬ。友達にその話をしたら
       「そらお前生活力はすごいよ。この店だってさ、お客が煙草を買って来てやと言うて財布から金を出したと思え、その瞬間彼女はちゃんと財布の中を見てとるよ、・・そんな風に訓練されてるのだよ。はあこいつにあまり飲ませたらタダ飲みされるぞとかね。この客ならもっと濃厚にサービスしてまきあげてやろうとか。そんな才覚は発達してるよ。学問なんか糞くらえだ。こっちは生きた学問してらあと自信満満だね。やっぱりぜいろくだよ。」
      と、途方もないぜいろく商法をまくしたてる。話半分と受けとめても田舎者にとってはどぎもをぬく話である。


       「お前大阪の町を見い、汚いやろ。」
       「それは同感だね。街路樹がないじゃないか。」
       「そこだよ。この大都会で街路樹がないとは君。この町の恥辱と思わぬかい。駄目なんだねえ。」
       「市役所の責任だろう。」
       「違うよ。市役所は植えるんだ。植えたってさ、店の奴等が枯らしてしまうんだよ。商売の邪魔になるといいおるんでねえ。」
      へええとデモシカ先生も喉をつまらせた。デモシカも心得違いで教員になったが、大阪の野郎はとんでもない心得違いをやるものだ。朝の挨拶が「お早う」のかわりに「もうかりまっか」
      とやると聞いたが、聞けば聞く程商売の鬼の様相が身にしみて来る。
      人間という奴は長所が欠点となり、欠点がまた長所になってると兼ねてから思っていたが、大阪はその見本だ。大阪のたくましい商魂は日本を支える大黒柱であり、そのためのサービスも至れり尽くせりではあるが、それがこうじて人間を金儲けの動物にしてしまう。そういう眼で人間を見るとあの男の値うちは百円でこいつは五百円クラスだと評価するようになるであろう。
      教師は相場外れでさしむき豚の尻っ尾というところか。

    Last Update: Feb.23,2000