まえ 初めに戻る つぎ われら六稜人【第41回】昆虫少年、博物館へ
     
     
    第4展示室
    学問として虫を扱うことへの違和感




      高校の時は運良く川副先生に誘われましたけど、大学の時にはね…どんな先生が居るかも分からなかったですし、昆虫の研究室があるのが農学部でしたから、とにかく農学部に行きたかったですね。そうすると関西では京都大学と神戸大学、それに大阪府大と京都府大しかない。阪大には無いんですよ。
      はよ虫採りしたいから浪人するのは嫌や(笑)…かといって、京大はちょっとしんどいかな。阪大には無いし…それで、神大やったら何とか行けるんちゃうか思うてね。家から通えるし楽やしなあと思って神大に決めたわけです。

      ただね。それまでの虫好きで虫をいじってるっていう虫の見方と、学問として虫を扱うっていうのとは全く違いますからね。大学入って「あぁ、全然違うな」と思いましたよ。
      端的に言うとね。昆虫っていうのは一つの材料でしかないわけですよ。何らかの学問、何らかの研究をしようとした時のね。ある仮説があったとして、その仮説を検証する為の実験材料として昆虫は極めて適当であるということは割とありますね。ゴキブリにしてもそうですし、蚕とかハエとか…実験動物っているでしょ。その一環として昆虫を扱うっていうのがひとつの典型です。
      だから、そう考えると別にその昆虫を扱うこと自体が目的ではないわけで、当然ながら学問の理論のほうをきっちりと検証していくことが目的なんです。

       
      ▲昆虫採集に欠かせない必須アイテム
      ▼標準的な最終スタイル
      (長袖・長ズボンが基本。道具類は腰にぶら下げる)


       
      ところが、これまでの僕は「虫採り」が目的やったから、虫そのものを調べる事のほうが目的やったんで、180度違う世界ですわ。それともうひとつ「農業」という視点から、作物をちゃんと育てるために「昆虫をいかにコントロールするか」っていうことがある。害虫にせよ、益虫にせよ…これも全然違う世界ですしね。だから、虫好きで昆虫マニアでやってきた人間っていうのは、だいたい学者としては大成しないことが多いんですよ。材料にとらわれるから(笑)。
      そんなんね…虫の採り方ひとつにしたって、自分の好きな虫を一生懸命採るわけでしょ。それこそ良いデータとか関係ないって言われることが多いんですけどね。僕もその一つの例かも知れませんけど(笑)。色々考えてて、ほんまにそれでええのかないう気もしてきました。「材料や」って割り切ることも大事ですけども、「材料」の虫がやっぱりそれぞれ個性を持ってるわけでね。その個性を無視してしまっていいんだろうか。

      例えばね。今、自然保護の世界で「生息地の保全」とか言うときに「多様性」って言うのがすごく重要なキーワードなんですよ。多様性の高い自然環境をどうするかっていうことのが一つの大きなパラダイムとしてある。だけど、ひとくちに「多様性」と言うた時に、どうやってその多様性を測るの?っていうと…例えば「そこに種類の数がどれだけおるか」。5種類しかいない森よりも、20種類いる森のほうが多様性が高いじゃないか…という話をすると、当然すんなり受け入れられるんですけども。だけど、その数字の比較だけで議論してええのかな?というような疑問を最近持つようになってきましてね。
      生物にはそれぞれみんな個性があって、食べるもんも違っていれば、好きな環境も違ってるわけです。そういう個性の全然違うもんを十把一絡げに並べて「あっちは少ない、こっちは多い」という数の比較だけで議論しててええのかな、と疑問に思ってます。

      すごく戸惑いもありましたけど「あぁ、学問っていうのはこういうもんなんか」と割り切って。まあ、それがはっきり解ったのは大学院に行ってからかも知れませんけどね。


    つぎ Update : Apr.23,2001