シンガポールでの展覧会で−1999− |
3ヶ月ほど、共同生活をし、食事を作ったりして、笠間の時と環境がコロッと変わったのです。研修生が皆女性で、段取りよく二人ずつ組んで、いつもものすごい安い費用でおいしいディナーをつくってくれたんです。最後お別れする時には私が鰹をさばいてタタキを作ったのですが、窯場なので藁などの材料が手近にあって結構うまくいって評判よかったですよ。去年暮れには大挙して訪ねてくれまして楽しかったですね。先生というのは大変だろうけど、そういう面白さもあるのかなと思いましたね。
研修生はカザフスタン、ルーマニア、ハンガリーなど色々な国からも来ていました。みんな一応英語をしゃべるのですが、なまりがあって最初は英語をしゃべっているとは思えなかったです。カザフスタンの人が、私の昔やっていた手法に興味をもったので、私の本をあげてどうやって焼くのか説明したのですが、去年暮れに、前に教えてもらった方法でこういうのを作ったと写真を送ってきました。こういうのが交流として残るというのもおもしろかったです。
信楽での仕事中
|
作品はブロック毎に組みたてるのですが、土の硬さ(軟らかさ)が大変難しいのです。下の方には上を組み立てている時に重さがかかって変型したり、上の拡がった部分を作っているときは、周囲が繋がってしまえばいいのですが、それまではだれて拡がってきたりします。だから乾き具合などを見ながら作ります。
普段の私の仕事では、ブタンガスの窯で行っていますので、結果が予測できますが、木を燃料とする信楽の穴窯は予測できません。ガスでも木でも温度は一緒になるのですが、例えば摂氏1280度に設定したとしても、信楽では2日に渡ってその温度を保つのです。笠間の土ではこのようなことをする崩れます。
信楽の土は耐火煉瓦のようなものですので、持つのですね。そのくらいのことをしないと、焼き締まってこないのです。
ここ数年、制作を休んでいたのですが、信楽でこのようなご縁ができたので作ってみたのです。よい作品ができるかどうか、窯から出してみるまでわからなかったのですが、割合おもしろいものが出来たと思います。ということで昨年 急に発表することになったのです。
茨城県庁舎ロビーの陶壁「薔光」
|
陶による造形を試みていると、それが本来的に持っている器としての性格に行き当たります。外面によって作られていく形は、常に空間を内包し器の感性を潜在させているのです。様々な文様と形を試みていますが、私は自分の作るほとんどのものに「〜〜器」と名づけています。器というものの持っている広い意味を通して、人間というものが見える気がします。