2年間の女学校生活を急変させたのが、男女共学という学制改革の実施。3年からは思いもかけない「北野高校併設中学生」として十三へ通学。結果、「北野高校」卒業まで女子とは6年間、男子とは4年間同窓として机を並べることになりました。
想いめぐらすと、このうずくような若さときらめきの青春の入り口を、なんと私は何の艶めきもないガキのまま、もったいなく費やしてしまったのです。日焼けも気にせず、「インドのカラス」と男の子たちにからかわれる始末でした。
当時の理科研究部の部員たち |
50歳を過ぎ、当時のマドンナたちの賑やかな高校生活を知るにつけ、文字通りの青い春を無駄にした喪失感に打ちのめされました。クラブは、医学を目指した酒井佳子さん、薬学を狙う岩本裕子さんのお尻について何の興味もないのに「理研」へ。以来、私の人生はいつも人に背を押されて方向が決まったようです。「理研」では、かくれんぼをして遊んでいました。それに「絵画部」。絵は嫌いじゃなかったんですが、満足に完成した作品もないです。でも、今でも地方で時間が空いたら、近くの美術館を探して絵を眺めます。シナリオ、小説に色彩のセンスはとても必要だと思います。