彼らは夏場は丹波の田舎で農業に従事していて、農閑期の冬場になると連れだって出稼ぎにやって来るのです。蔵人は通常16人で構成されます。そのトップが杜氏(とうじ)と呼ばれる人で、われわれはオヤッサンと呼んでいます。
杜氏の仕事は単に美味い酒を造るだけではなく16人をいかに組織し、いかに働かせるかという能力も大きく問われます。この杜氏の下には「頭(かしら)」と呼ばれるナンバーツーがいて、杜氏の補佐にあたります。以下「もろみ」「麹師(こうじし)」「釜屋(かまや)」「上槽(じょうそう)」と…明確な役割分担、指令系統の階層が決まっています。それぞれが専門の持ち場を受け持ち、自分の工程を分担するわけです。非常に封建的な職能集団(ギルド)と言えます。
彼らはほとんどが同じ村の一族郎党であり、杜氏が組織して連れて来るのです。大抵は16人というのがひとつの単位で、これでひとつの蔵を担当します。大手の酒屋だと蔵がいくつもありますから、蔵の数だけ16人の集団が組織されるのです。
この伝統産業も他と同じく後継者不足に悩まされています。仕事自体もきついですし、「永年の勘」が頼りの仕事を、若い人がやろうとしない。そもそも農業自体が後継者不足ですからね…。うちの蔵人も平均年齢は70歳に達します。
彼等の報酬は酒造組合で一律に定められています。ですから、どこのメーカーに属そうとも「杜氏」なら幾ら、「頭」なら幾ら…で、以下全員その役職に従ってすべて横一線に決まっています。ですから、腕のいい杜氏…優れた部下を有する杜氏を引き抜くためには、給料のほかに「支度金」というのを積んでスカウトすることもあります。プロ野球のドラフト指名のようなものです。
丹波地方にはこうした請負集団が1,600人います。従って彼等が100の蔵を受け持っているというわけです。
4年前の阪神大震災…あれはこの業界に壊滅的な打撃を加えました。なんせ、15代とか20代とか続く歴史的に古い業界ですから、建物も戦前からの木造建築が中心で…これがほとんど全滅したのです。おそらく産業という点では最も被害が大きかったのがこの酒造業界ではないでしょうか。数多くの文化財を含めて…300年間に築き上げられた財産のすべてが灰燼に帰したことは実に残念きわまりないことです。まだまだ復旧も終わっていません。つぶれてしまった蔵を新しく建て直してもペイしないからです。
当社は戦後の建物でもあり、幸いにして建物の被害はなく、業界では最も打撃が少なくて済みました。あの日の朝…壊滅的な街を通って会社へ向かいながら「駄目かな」と落ち込んでいました。建物が倒壊せずに残っているのを見てどれほど安堵したことでしょう。勿論、それでも被害はありました。原酒を貯蔵する大きなタンクが33本駄目になり、貯蔵していた原酒もすべて流れ出てしまいました。瓶詰めの酒も5,000本が割れてしまい、酒の命である「もろみ」も全部腐らせてしまいました。
酒問屋の業界では「灘五郷は壊滅的な被害で、灘の酒ももうおしまいだろう」という噂が流れました。実際、他の酒に乗り換えようという話まで出始めていたので、ボクは「急がなければならない」と決意しました。そして1週間後には何とか出荷を始めたのです。
次に同業者の救済を考えました。このままでは廃棄せざるを得ない原酒をうちで引き取ってリフレッシュしたり、買い上げたり、瓶詰め工程だけを代わりに引き受けたり…出来る限りの救援を考えました。被害の少なかった他のメーカーも皆同様に助けあったのです。
実はそれが今でも続いていて、閉鎖的な業界ではこれまで考えられなかったアウトソーシング…外部発注の仕組みが増えたのです。業務提携することによってコストを下げるという知恵を発見したのです。随分皮肉なハナシですが、阪神大震災がエポックとなって業界全体が次代への変貌を遂げつつある…ということなんです。