この斜面から高濃度のダイオキシンが検出された。 同期の山元一夫くんと(豊能郡美化センターにて)
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先ほどの能勢のゴミ処分場では、ダイオキシンを取り去る方法として「ガス化溶融炉」という話が出ています。リサイクルしない古紙や使用済みペットボトルは焼却処分すればいいのです。ガス化溶融炉で高温で加熱すると廃棄物もすべて固まって石になります。もともと石から出来たモノを石に戻すわけです。もちろんダイオキシンも無くなります。
森林を育て、これを木材や紙として利用し、使い終わったらそのまま焼却して発電する。これは太陽光発電なんです。石油をガソリンやナフサ、軽油などに分留し、ナフサからペットボトルを作る…使い終わったら他のゴミと一緒にガス化溶融炉で焼却して発電する。これは石油火力発電なんですね。
分別【ぶんべつ】は廃棄物の段階でするのではなくて、資源の段階でするのが分別【ふんべつ】ある行為なんですよ(笑)。
いづれにせよ最近の科学技術では随分と使い途のあるものが色々出てきました。ダイオキシンについて言えばだいぶ研究も進んできましたが、今のところ連続測定が難しいのが問題です。能勢の場合でも、ある地面を測定して初めて高濃度のダイオキシンの存在が分かりましたね。でもその後どうなのか…というのは、その度にいちいち測定するしかないんですよ。
ですから、何度も言いますが…物事はより広い視野で考えなくてはいけないと思います。最近「複雑性」の論議が盛んですが、システムなりメカニズムを「元来、複雑なものなんだ」として、分析を放棄しているような学者がいますが、まったく本末転倒な理論です。どんなに複雑なものでも、そのひとつ上の…より外側から眺め直してみると、案外、単純な規則性が見つかるものなんです。
また、物理学と経済学とでは、その「複雑さ」には根本的な違いがあります。これを似ているからといって同じレベルでアナロジーしても間違うことになります。一段上から、まるごと見る必要がある。医者だってそうでしょ。心臓専門医、肝臓専門医と言って…心臓だけ、あるいは肝臓だけ診てたんでは病気は解明できませんよ。全体的な人間を見て初めて病気が解かるんです。
科学一辺倒の時代は公害問題などの苦々しい体験をもって過ぎ去りましたし、経済一辺倒の時代も、今まさにバブルがはじけ、その代償を払わされているところですね。肝心なことは「そのどちらかに偏り過ぎてはいけないのだ」ということです。両方の目と両方の耳を駆使して、より物事の本質に迫れるように…現役の高校生諸君や若い人たちには、そうした姿勢を日々、心がけて欲しいと思います。