詳細経過については新聞等の報道で明らかにされているので、ここでは述べませんが…そのようにして大気中に拡散された高濃度のダイオキシンが、処分場周辺の土石に大量に蓄積するわけです。これら膨大な残留物をどのように処理するのか。今後、該当地域のゴミ処分をどのように進めるのかが大きな課題として残されています。
前者については、処理に関する新しい方法を検討中ですが、その量の多さを考えると莫大な費用と時間が必要であり、いずれ住民に負担が及ぶことでしょう。後者についても、これまで能勢町・豊能町の2町で行ってきたゴミ処理を近隣市域に協力を仰いで当座をしのいでいる…のが現状であり、少なくともこの処分場は二度と利用することが無くなるのではないか。これも結果的には住民に負担のしわ寄せが行くことなります。
それで最近よく言われるようになったのが「リサイクル」。あれもね…みんな嘘ッパチの気休めですよ。リサイクルを繰り返しても結局、最後は捨てることになります。ボクが言いたいのは「リサイクル、リサイクル」と合言葉のように合唱連呼するだけではなくて、ちゃんと儲かる「リサイクル」だけを考えなさいということなんです。市場経済の原則に反したリサイクルは成立しない。
他のものも同じことで…猫も杓子も「リサイクルが大切」みたいなこと言ってますが、それはモノに依るということなんです。無理しなさんな、と言うこと。リ・サイクルというのは人間と人間の間におけるリサイクルじゃぁない、人間と自然とのサイクルの問題としてとらえるべきです。
自然の中でいろんな環境・生物(人間)がそれぞれ共生しながら回ってゆく、このサイクルが問題なんです。多くの理工系の人は単に資源問題としてリサイクルを有用なこととしてとらえていますが、経済学的に言えば…市場経済の需要を超えて供給すると、それは「資源」ではないのです。