いすゞにはGMとのエクスチェンジ・プログラムというのがあるんです。GMのスタジオでデザイナーとして仕事するという。その話が持ち上がって、また手を挙げた。その頃のGMデザインって、すごく力あったからね。「はい、行きます」って。それで85年からGMに行ったんですよ。これは1年弱なんだけど、ミシガン州デトロイトにGMテックセンターがあって、その中の「アドバンススタジオ」というところ。
GMのスタッフと(1985) |
GMのデザインセンターっていうのは30ぐらいのスタジオにわかれてて、それぞれの部屋が巨大なんですよ。廊下だけでも幅がドーンと10メートルぐらいあるような。その両側に部屋がいくつもあって、よく知ってる「シボレー」のスタジオだとか「キャデラック」のスタジオだとか…全部あるわけ。お互いのスタジオ同志は基本的には行き来してはいけない。何やってるかお互いに見えないというのが暗黙のルールで。入れないんだ、他の所は。
でみんな5時になるとぱーっと帰るわけですよ。早いやつは朝の7時ぐらいに来て4時ぐらいで帰るわけ。だからもう夕方になると人がいなくなる。夏の間は同じように単身で会社から来てる人とテニスしたり、ゴルフしたりするんだけども、冬は最悪なんですよ。4時ぐらいから暗くて…で、氷点下でしょう。
デトロイトって街もその頃いちばん治安が悪かった。遊ぶとこないのよ、単身赴任でしょう。自分で食事して、洗濯して、テレビ見て。暇なときはチェロ弾いてた。慰めですね。その頃から、音楽はクラシックに転向しておりまして、ジャズはあんまりやってなかったんです。
単身赴任で夜ひとりチェロをこそこそ弾いてる、って結構辛いものがある。あまり楽しくなかったなあ、後半は。仕事もね、さっき言ったように達成感があんまりないわけですよ。やって潰して、採用されるかされないか全然わからない。そういうこと延々とやってたわけね。これはもうさすがに日本に帰りたかった。だけどずいぶん勉強になりましたよ。
マリオ・ベリーニと(1985) |