われら六稜人【第32回】右脳と左脳のホイールバランス
    3速
    GMエクスチェンジプログラム

      実は僕がアートセンターに行く前に仕上げて「これは量産されるぞ」と期待してた1台があったんだけど、途中でドロップになっちゃって。車の開発って「出来た」と思ってもどっかで…いろんな投資の問題やらで落っこちるプロジェクトが結構多いんですよ。
      それで戻ってきて、車のデザインに復帰して2代目ジェミニ。初代のジェミニはオペルのを改造したやつで、その次の四角いやつ。かわいらしいやつね。それからアスカという車があったでしょう。アスカっていうのはジェミニよりぜんぜん大きいですが、あれもGMの車なんですよね。Jカーって呼ばれてたんですけどね。

      いすゞにはGMとのエクスチェンジ・プログラムというのがあるんです。GMのスタジオでデザイナーとして仕事するという。その話が持ち上がって、また手を挙げた。その頃のGMデザインって、すごく力あったからね。「はい、行きます」って。それで85年からGMに行ったんですよ。これは1年弱なんだけど、ミシガン州デトロイトにGMテックセンターがあって、その中の「アドバンススタジオ」というところ。

       
      GMのスタッフと(1985)
      ところがこれが暇で暇で…とにかくやることが毎日同じ。斬新なアイデアを出して車つくるわけだから、日程に追われることもないし、毎日行ってぶわーと絵だけ描いてぐちゃぐちゃやって…。量産のデザインやってると「この車は何年の何月に出る車だから、それに向けてやろう」とかいう集中力が出るじゃない。先行スタジオって言うのは、「とにかく何でもいいから、お前らおもしろいものをつくっとけ」みたいな。飼い殺しじゃないけど、言ってみればそういう人たちを囲ってる訳ね。これずーっと毎日やってると飽きる!ほんとに。

      GMのデザインセンターっていうのは30ぐらいのスタジオにわかれてて、それぞれの部屋が巨大なんですよ。廊下だけでも幅がドーンと10メートルぐらいあるような。その両側に部屋がいくつもあって、よく知ってる「シボレー」のスタジオだとか「キャデラック」のスタジオだとか…全部あるわけ。お互いのスタジオ同志は基本的には行き来してはいけない。何やってるかお互いに見えないというのが暗黙のルールで。入れないんだ、他の所は。

      でみんな5時になるとぱーっと帰るわけですよ。早いやつは朝の7時ぐらいに来て4時ぐらいで帰るわけ。だからもう夕方になると人がいなくなる。夏の間は同じように単身で会社から来てる人とテニスしたり、ゴルフしたりするんだけども、冬は最悪なんですよ。4時ぐらいから暗くて…で、氷点下でしょう。
      デトロイトって街もその頃いちばん治安が悪かった。遊ぶとこないのよ、単身赴任でしょう。自分で食事して、洗濯して、テレビ見て。暇なときはチェロ弾いてた。慰めですね。その頃から、音楽はクラシックに転向しておりまして、ジャズはあんまりやってなかったんです。
      単身赴任で夜ひとりチェロをこそこそ弾いてる、って結構辛いものがある。あまり楽しくなかったなあ、後半は。仕事もね、さっき言ったように達成感があんまりないわけですよ。やって潰して、採用されるかされないか全然わからない。そういうこと延々とやってたわけね。これはもうさすがに日本に帰りたかった。だけどずいぶん勉強になりましたよ。
       
      マリオ・ベリーニと(1985)


    Update : May.23,2000