ピニンファリーナと(1980) |
最初の1年半か2年ぐらいはお決まりなんですけど、まず車につくマークね。これ誰でもやらされるんですよ。あとストライプとかね、2次元から始まるの。その後、グリルね。そういう順番で少しずつ部品が大きくなっていくわけです。いすゞはダンプカーもやってたんで、ダンプの荷台とかね。商業車にエルフってあるでしょう。「○○年にモデルチェンジするから、グリルだけ変えるぞ。お前、グリルのデザインしろ」と。全体の中で、ある部分・箇所だけ…色変えて、絵を描いて、それでモデルを作るわけです。そういうことを最初2年ぐらいやってたかな。
でもそれはまだ修行の身でね、余りおもしろくないわけ。さっき言った根岸さんていうアートセンターに留学してて『カースタイリング』に載った人がね「仕事やってるだけじゃだめだよ、自分をアピールしなくちゃ」って。言われたことだけやってても「こいつ、出来るのか出来ないのか…?」判断できないじゃない、上司も。
で、その言葉に触発されて、休み時間になると自分の車の絵を描いて、それを自分の周りに(見えるように)貼っとくんですよ。仕事とは関係なくね。そうして、まわりから見ると「こいつ出来るんじゃないの?」と思わせておけば、今度から「あいつ使ってみようや」ということになる。また、いろんなコンペティションの時に、描きためた中からいいやつをパッと応募すると「あ、こいつ結構できるね」って感じで、やる機会が与えられるわけね。
でまあ、そういう感じで3年ぐらいたって、まるまる1台やらせてもらえるようになったのが27才の時かな。
車まるまる1台のデザイン。でも、それがスグ生産されるとは限りませんよ。まず「選ばれる」ための車を試作する。
その頃はまだ駆け出しでしょう。結構たいへんでね。原寸モデルを削り出すんだけど…僕みたいな27〜8才の若僧が、モデラーに「あぁしてくれ、こうしてくれ」って頼むわけです。
モデラーの人ってね、経験者なわけですよ。10歳くらい年上かなあ。彼等にしてみたら「バカヤロ〜新米の若僧が何言ってんだ?」って感じなんですよね。モデラーがせっかく綺麗に仕上げたのを、僕が見て「ちょっと良くないな…ココ、もうちょっとこっちへ…」なんて言うと、一度作ったものを壊すわけでしょう。僕は言うだけで何も力仕事してないわけですよ。彼等にしてみると、自分より10歳くらい下の新米でしょ。「お前、こんなことやったってダメに決まってるじゃない。また変えるんだろう?」って、判ってるからやってくんない訳です。
「こう作るじゃない。もうちょっと、こうやって…こうしたいな」家に帰ってからも四六時中考えてるわけ。仕事と区別つかないからね(笑)。で、翌朝行って「じゃあ、あそこをこう変えよう」とは思うんだけど、問題はどうやって頼もうか…どう説明したら言うことを聞いて貰えるか、とかね。それがなかなかね大変でね。ずいぶん苦労しましたよ。
毎日胃が痛んでましたもの。人間関係は、誰でもそうですけど、新入社員の時って気を使うでしょう。ずいぶん辛かったですね。僕ね、人生でいちばん気を使ったのはその頃かな。
そうこうして、29才の時かな。カリフォルニアに「アートセンター」っていうデザインの大学があって、いすゞはデザイナーをそこに研修として送り込んでたの。僕の前に3人ぐらいかな。ちょっと効果を疑問視されて7年間ブランクがあったんだけど「そろそろ再開しようか」って話になって「誰かいない?」っていうから「はい、行きます」って即答した。
アメリカの大学だからTOEFLって英語の試験があるんですよ。普通、大学の入学の基準はTOEFLが550位なんだけど、だいたいアートセンターに行く人は取れないんですね。450取れるか取れないかで向こうの英語学校に3ヶ月ぐらい通うんです。
僕はまあ一応北野ですから(笑)、そこそこはできるだろうとタカは括っていた。それで1回ぱっと受けてみたら500点だった。初めて受けて500というのはデザイナーにしては上出来なわけです。人事側も半年くらいは準備するでしょ。だからその間に「必ず550取ります」と宣言して。まあ600近くまで行ったんだけど。それで「前から行きたいな」と思ってた念願のアートセンターに会社から派遣されたんですね。
アートセンターにて(1980) |
朝から学校行くでしょ。すると4時ぐらいに一回学校終わるんですね。先生によっては昼間仕事してる人がいるから、夜のクラスっていうのがある。昼間学校へ行って、家に帰って晩飯食べてからまた学校へ行って…。
毎回、宿題が出る。「来週までにスケッチ40枚描いてこい」とか。クラスの毎に宿題でるじゃない。それをこなすだけでも死ぬ思いのやつをね。すべて片付けるのは至難の業ですよ。自分でもよくやると思いましたね。おもしろかったけど。
毎日夜中の3時、4時までやって、朝起きるのは7時ぐらい。寝るのは土曜の夜だけっていう感じかな。日曜はまた月曜のクラスがあるから、やっぱり夜中の3時、4時まで…朝から晩まで一日中やってるわけですよ。
車のコースでは3ヶ月で車1台デザインするんです。いろんな会社がスポンサーになってて。例えばTOYOTAプロジェクトっていうのがあって「プロダクトコンセプトにのっかって、こういう車をデザインしなさい」という課題がある。最初にスケッチ描いて、トヨタのカリフォルニア・スタジオの人が来て、いろいろ話をして、それからサイドビューの図面おこして、クレイモデルを自分で作って、色塗って仕上げて…最後にプレゼンテーションをバシッと決めてやるわけ。もう殆ど現実のプロフェッショナル・レベルで、真面目にやると結構高度なのね。
それへの評価はね、ひとつはフォルム(形のデザイン)的なセンスの部分と、あとプレゼンテーション・テクニックをものすごく重視する。下手な絵だと形がどんなに良くったってダメなんですよ。それから、コンセプトを重視する先生とか、しない人とか…人にもよるしね。発想のおもしろさを一生懸命評価する人もいれば、技術的なものを評価する人もいるし。それは様々かな。
たとえばGMプロジェクトっていうのね。「2001年のカリフォルニアにおいて使用されることを想定した車のデザインをしなさい」と。そんなラフなテーマなんですよ。
当時のアメリカも、日本ほどじゃなかったけども石油が少なかったんです。小さくて燃費のいい車というのが望まれてた。「小型化」は目に見えてたんです。だから僕はそうじゃなくて…小さい車は誰もが考え付くし、何のアイデアもない。まったく逆に…やっぱりアメリカでは車なんてでかい方がいいに決まってんだからね。小さいスペースを欲しがるなんて本来のアメリカ人の指向じゃないでしょ。「車はでかくあるべき。ただし、燃費は良くないといけない。スペースは有効に使わないといけない」そういう発想で、結構ひょろひょろと長くて、非常に空気抵抗の少ないやつ…空気抵抗って結局のところ前面の投影面積だから、細長くすりゃあ抵抗は少ないわけですよ。長ーい車で、ナマズのような形にして、乗客を互い違いに座らせる…そういうのを作ったんです。
「大きくて、しかも燃費のいい車」を考え出さないと、われわれが何もわざわざデザインしてる意味ないだろう、というのが私の提案で。そうしたらGMから来た人が、そのコンセプトを喜んでたけれどね。「うん、おもしろい!」って。すごい受けました。みんなオン・トレンドで、ちっちゃいのを作ってるから、敢えてそうじゃない別な切り口でやったんです。
「車」以外にもホント純粋なIDもやるんですよ。それこそ「歯医者の椅子」のデザインとか「額に入れて飾るようなイラストレーション」とかもやったし。課題として幅広かった。
で、普通は最低2年8ヶ月かかるところを1年で卒業証書もらったのは、僕だけじゃないですかね(笑)。それも首席で。
だいぶ後で、その時の副学長と話す機会があって「実は俺は卒業証書もらったんだよ」って言ったら「それはルール違反だ、そんなこと出来るわけない」とか言って怒ってたもの。そんなこと言われても…一応「バチェラー・オブ・サイエンス」貰ったからね。
29の時に行って、31で戻ってきたのかな。
ジウジアーロ(右)と。中央は夫人(1980) |