そうすると、本当に心臓移植が必要だったかという検証もできなければ、本当に脳死だったかという検証もできない。本当に提供する意志があったのか、家族全員が了承していたのか…ということも分からない。そういう体系が完成する以前のハナシではあったのだけれど…結局、医者に対する患者の不信感が凝集してしまったわけ。医者というのは「密室の中で、したい放題してるんやろう」と。古い医療体系に対する患者さんの不満が集中したわけで…。
今でこそ、どんな手術をする時でも患者さんにはキチンと説明をするし、データも公開されている。いわゆる“インフォームドコンセント”で、「この手術をすればこれくらいの確率で死にますよ…あるいは、これくらい病状は快復しますよ。その危険率のどちらを取るかは決めて下さい。僕の言っていることに少しでも疑問があるようでしたら、他の先生を紹介しますからその先生にも聞いてください。」これ位の説明はするワケです。そういう医療に切り替わるのに30年かかったんです。
というのは脳死が全て人の死であるということにはなっていないンだ。脳死の判定は出来るんだけど、あくまでも本人が書類を残していて、家族が脳死の判定を受けることに了承した場合にのみ限られるわけ。何故かというと、脳死を選ばない人にとっては脳死は「純然たる死」でないわけで、「脳死は死でない」という選択もできるわけです。やっぱり家族にとっては「心臓止まるまでは何とかして下さいヨ」というわけで、それを否定することは出来ない。
だから「脳死を死として選んだ」人の場合にのみ、家族の了承を得て脳死者を死体として取り扱う法律的根拠が出来たわけ。時間的なカッティングポイントを決めて、脳死とした段階で死亡としましょうという手続き論を法律で決めたわけなんです。
このドナーカードを見てください。1番を見ると「私は脳死の判定に従い、脳死後移植のために○で囲んだ臓器を提供します」とありますね。このアンダーラインのところが必要なんです。この“脳死の判定に従い”という文句が書かれていないと「書類を残した」ことにならないんだね。
ということは、今まで腎臓バンクなんかで登録してたカードとか…いろいろあるンだけど、全部ダメなんです。このカードでないと駄目というコトになる。
ということは逆に、このカードが何枚でるかにかかっているんです。現状は400万枚しか印刷できていない。それだけしか厚生省の予算がついていないンだ。400万枚というと…実質的に臓器を提供できる可能性のある人は8,700万人いるわけですから…実際、カードを持っているかどうかを新聞社などが調べた結果が、わずか2%に過ぎないと言われています。
ですから、8,700万人のうち病死する人が年間20万人。そのうち脳死で死ぬ人がだいたい1%。これに「カードを持っている人」がさらにその2%ですね。また、カードを持っているからといって全員が1番に○しているとは限らない。そうすると、また約半分になる。以上を全部、計算するとこのカードを持った脳死患者が現れるのが年間1人なんです。それくらいの単位なんです。
現在、心臓移植を望んで待っている人の数は年間200人から500人と見られています。その患者さんは一年で半数の人が亡くなっていきます。なかでも移植の適用を受けようとしている人は非常に重症で、ベッドからトイレにもいけない…寝たきりの人が半分以上。その残りの人が何とか自分の身の回りの世話ができる人。ふつうの生活は出来ないンです。