ところで少し脱線しますけど「職業演奏家で飯が食えるか」という問題ですが…なかなか日本の交響楽団で独立採算でキチンと楽団員に給料を払えてるところは無くてね。N響【NHK交響楽団】くらいじゃないですか。それと「京都市交響楽団」これは公務員ですからね。あとは給料だけでは…何かアルバイトでもしないと、とても食って行けないはずです。
世の中によく、何百億という大金持ちに「そんなに儲けても使い途ないやないか」という人がいらっしゃいますけど、ボクはそういう人にいつも言うんです。「ボクだったらすぐに無くなりますよ」と。「一度、個人でオーケストラのオーナーをなさるとよろしい。一体いくらお金がかかると思います?」とね。日々の練習場所を確保して、楽団員には十分な給料を支払わないといけない。そして演奏会を定期的に開催する。もちろん、それで得た収入なんかではとても三管編成、四管編成のオーケストラは維持できませんからね。
これは外国でも同じですけど、作曲家と違って、演奏家には必ずスポンサー(金主)がいるんです。晩飯の心配をしていたら演奏家はやっていけませんからね。ピアノでもヴァイオリンでも一日最低6時間、多い人なら10時間は練習しますから。そうなると家事や他の労働は一切できないわけです。
天才といわれた女流名演奏家の中で晩年まで演奏を続けられたのは安川加寿子さん(旧姓・草間さん)一人です。あの方はパリのコンクールで賞をとって帰ってきた名ピアニストですけど、これが普通のサラリーマンのところへお嫁に行ってたとしたら炊事・洗濯・子育てで…とても練習なんかできませんよね。ボクの知ってる中にもピアノのうまい子がたくさんいますけど、プロになったらダメです。プロになって一流の腕を維持しようと思ったら…大金持ちのところへお嫁に行って子育てや炊事洗濯は女中がする、自分はピアノ弾いていればいい…という状態でないと、とても無理ですね。草間加寿子さんは幸いにして安川財閥の御曹司のところへお嫁に行かれたから、ずっと演奏ができたんです。音楽演奏家というものはそういうものなんです。
だからN響でも…定期演奏会が何回かあって外国にも行くけれども、そんなもん演奏会収入だけであの楽団を維持できませんから、どこから給料が出ているかというと、日本放送協会から出てるわけです。NHKがN響のスポンサーということです。
財源の無い一般のオーケストラは設立しても必ずつぶれる…それぐらいお金を食うんですね。これは諸外国でも同じことで、英国の王立交響楽団にしても米国のNBCにしても…スポンサーがついているからこそ、オペラやシンフォニーオーケストラが維持できるのです。
当時、軽音楽の世界では「桜井潔とその楽団」というタンゴバンドとか「松田四郎と楽団南十字星」ぐらいがメジャーで、みんなそれの真似をするわけですね。ボクはそこへヴァイオリンを持ち込んで、ハーモニカを伴奏にしたりして。あとアコーディオンの上手いのがおりましてね…田中省信君という北野中学の同級生(52期)。彼と一緒に「軽音楽のタンゴバンドやろうや」と言ってやり始めたら、これが受けてね。当時、京都で同志社大学軽音楽部は何を演っても常に満員(笑)。ドラムありギターありハーモニカあり…そういう混ぜこぜ楽団で『夜のタンゴ』とか『青空』、『ラ・クンパルシータ』、『カベシータ』、『小さな喫茶店』とかいうナンバーを演ってました。
軽音楽をやってて唯一困ったのがピアノでね。ジャズピアノのできる人がいなかった。ちょうど戦争が激しくなって、音楽家の仕事が無くなっていく…そういう時代でしたから、京都交響楽団(今の京都市交響楽団の前身)をつくった高橋虎之助というプロのピアニストに来てもらって、いろいろ教えてもらったりもしました。
だんだん戦局が厳しくなってきて「アメリカの音楽は演ってはならん」という時代になりました。けれども、警察官で音楽の分かる人はいませんでしたからね(笑)。「これは全部ドイツの曲です」とか言って誤魔化してましたね。アルゼンチンタンゴでも何でも…全部「ドイツです、ドイツです」言うて(笑)。
パーマの禁止を促す警察官(昭和15年) 出典:『写真集なにわ今昔』(毎日新聞社)
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