4年生ぐらいになって、やっと格好がついてきました。それでワルツなんかにも挑戦し始めたのです。円舞曲。カイザーワルツとかね。あれはキーが「C」ですから、フラットもシャープも付いなくて易しいんです…単純にそういう理由でね(笑)。
4年生も終わりになると流石に欲が出てきまして「やっぱりオーケストラやから、シンフォニーを演らないかん。交響曲を!」それで楽譜を買いに走りましたよ。
当時、スコアを売っていたのは本町の三木楽器。有名な書店でもあり、国定教科書も作ってましたね。東京の丸善みたいなもんです。もちろん楽器を売っていて、
ここへ行くとスコアがずらーっと並んでいました。何でもある。ベートーヴェンもあればモーツァルトもある、シューベルトもハイドンもあったのです。
その中から「一番薄くて易しいのを…」ということで、少ない楽器でも演奏できる譜面として選んだのがハイドンの『フェアウェル』。何しろオーボエやファゴットは学校にはありませんでしたからね。それを買って帰り、下級生をいささか強制的に引きずり込んで…当時、音楽部は全員「軍隊ラッパ」を吹かされ応援団でもあったからね(笑)。それで、北野中学校第一回校内大演奏会いうのを開いたんです。
構成としては、まず手慣らしに僕のアレンジ(編曲)した『森の鍛冶屋』を演って、続いてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲『ロマンス』を聴かせ、盛り上がったところでメインのハイドンのシンフォニー『告別』、最後にハンガリアンダンスの5番で締めるという演目だった。
さて、『森の鍛冶屋』で無事、幕があき、次のベートーヴェンへ移る時のことです。あの講堂はステージの狭いことだけが欠陥で、仮設の板を組んで臨時にステージを広くしてたんですが、そこへ藤末君が三高のボロボロの制服に汚い手拭いを腰から下げて下駄で上がってきたんです(笑)。
まぁ身なりはともかくも、れっきとしたソロイスト(独奏者)ですからね…1年生の部員に堀口君というお金持ちの息子がいて、彼がハイニッケのヴァイオリンを持ってましたから…それを借りて鈴木ヴァイオリンの代わりに藤末君に持たせてたんです。
ところが、ただでさえ仮設の不安定なステージの上で、薄暗がりを下駄履きでガタガタやったもんだから、ボコーンと床が抜けてしまってね。藤末君…そこへ片足を突っ込んで真っ逆さま。転倒の拍子にハイニッケのヴァイオリンは無残な姿に(笑)。仕方がないので、やむを得ず自分のヴァイオリンで演奏してもらいましたが、この予期せぬハプニングに会場はみんな大笑い。しかし堀口くんには悪いことしたなァ。修理して返したけど…彼、ボクを恨んでいると思いますよ。
ところが練習不足がたたってか…途中で支離滅裂になってしまい、われわれ奏者はもちろんのこと、聴衆のほうもワケがわからなくなったんだろうね。ぱらぱらと席を立つ人が出始めたかと思うと、次々とみんな帰り支度を始めてしまい、最後まで残って聴いてくれていたのは、結局ボクと仲のいい友人4〜5人ぐらいでした。
結局、30人くらいが引き返してくれて…フィナーレ(終曲)は拍手喝采でした。やっぱり『告別』を途中に持ってきたのが失敗だったようです。われわれがステージを去るよりも先に聴衆が去っていったという…笑えない昔話(笑)。でも、ほんとに面白かったなぁ。あの演奏会はね。