「それは無理でしょう。だいいち…4楽章全部やってたら客席はみんな寝てしまうのと違いますか」そんなことをいいながら、ボクは「実現するとしても、いいとこ取りしたダイジェスト版を新たにアレンジし直して演奏するのが関の山じゃないですかね」という意見でした。ボクのバンドのテーマ曲が第九の(第4楽章の)ダイジェストでしたからね。このスコアは打合せの際にスタッフの皆さんにお目にかけたはずです。
ところが皆さんは「全楽章できるのではないか、やろう」という話になって…結果的には音楽部出身者(オーケストラ+コーラス)他、北野の音楽人が一同に会する集大成的な演奏会になりました。いろんな記録が残っているでしょうから、ボクがあまり多くを語ることもないと思いますが、その後日談をひとつ。
あの演奏に目をつけたある最大手の旅行代理店が「これをベルリンに持って行ったらどうか」という企画を持ち込んで来ました。前日には日経の芸術面に大きく取り上げられましたから…。
興奮の余韻まだ醒めやらぬ頃で、もしかしたら…という勢いはありましたけどね。それにしても「身内のたかだが100名くらいがベルリンに押しかけて演奏を聴くというだけでは格好がつきませんよ」と。その頃はバブルの影響下で、そういうある種、恥ずかしいツアーが幾つも企画されてましたから。「『日本の由緒あるハイスクールのOB・OGたちだけで組まれた楽団で、非常に珍しい公演である』ということで、現地の法人にもしっかり動員をかけていただいて、ホールを満席にして貰わないと困りますよ」と。「もちろん私の一存で決められることではありませんし、それ以前に、私はもう演奏会当日、六稜楽友会の会長職を降りていますから、現会長の家近君以下、幹事の皆さんに諮っていただかないとなりませんね」そう助言して返したんです。キミのところにも話が行ってるはずでしょ(笑)。
結局、ドイツ行きは実現しませんでした。北野の良識という奴だったかも知れませんね。
それと、もうひとつ。何でもいいから他人にないオーソリティなもの…技術でも知識でも何でもいいですが…を身につけてください。人生が楽しく、また役に立つでしょう。
高校生活というものは「友人をつくり、自分をつくる」基礎の段階であると考えて、慌てずにのんびりと謳歌してください。それがボクが後輩に贈る言葉ですね。他人と違うということ、型にはまらないということに誇りをもって生きてください。戦後日本の画一教育の弊害が、最近その反動となって揺り戻しが来ていますからね。考えてみれば…偉い人はみな落第しているんじゃないですか(笑)。