ユーゴではチトー大統領が死んだんです。あそこは非同盟中立国ですからね、国葬には右だけでもなければ左だけでもない世界中のトップが弔問に来た。おそらく20世紀最後の大喪服外交でしたね。
わが国からは大平総理が列席して、中国の華国鋒とかインドのガンジーだとか、そういう人たちとも会談をやりましたけどね。それが非常に印象に残っています。
エジプトでは赴任直前にサダト大統領が暗殺されて…。どうも僕は厄介な地に送り込まれる運命にあったようですが(笑)。
次のムバラク大統領が訪日に先立って、日本にある援助を願い出たんです。それは…「かつてカイロには、スエズ運河開通記念にヴェルディが書いた歌劇『アイーダ』でこけら落としをしたオペラハウスがあった。この文化の殿堂が十年あまり前に焼失し、以来いまのエジプトの若者には心の拠り所が無くなったのでは無いかと憂慮している…」それで、その再建に手を貸してほしいというんだね。
同僚の中には「中江は自分がオペラが好きなもんだから、エジプトにオペラハウスを寄贈した…」なんて冷やかす奴がいるんだけど、僕が好きだからできるようなもんじゃないよね(笑)。大蔵省から何十億という金を出して作るわけですから。
カイロのナイル川の中洲にゲジラ島という島があってね。その島の一番眺めのいい場所に白亜の殿堂のごとく輝いて建ってるのがそのオペラハウスなんです。
ともかく、国家の指導者がね「次代の青年たちの精神の拠り所にオペラハウスを作りたい」なんてことを考えるということ事体、日本と大きく異なる点だと思いますよ。今の日本の「心の教育」なんて…何、言ってんだって僕は思うけどね。本当の指導者というのはそんなもんじゃないですか。これは僕にとっても非常にいい思い出でしたね。
中国では中曽根内閣の靖国神社公式参拝で日中関係がものすごく悪化したんです。1985年ですね。それから第二次教科書問題、防衛費の1%アップ突破の問題。翌年には京都の光華寮という中国人留学生の寮の所属をめぐる問題、これは台湾がからむんですけどね。そういう…もう枚挙に暇がないほど、嫌な問題が次々起きました。ですから僕の中国大使時代というのも、幸か不幸か「商売繁盛」でね。まぁ大使としては働き甲斐がありましたけど。
いわゆる歴史認識の問題とか、けじめの問題とかいうのは、僕の『5秒前』とか『いのち』とか…そういう原点に触れる問題でもありましたから、非常に勉強になって…今でも何かというと、そういうことについて意見を書くことが多いですけどね。
こうして外交官人生40年の幕は閉じて、めでたく退官した、と。
僕は、いつもヤカマシク言ってんですが、引き続き日本は21世紀に滅びると思っています。若い人たちに対しては本当に無責任だと思うんだけども…こんなことしてたら日本は滅びるしかない。
というのは、日本という国はあっても無きがごとく、腰抜けの、どうしようもないつまら〜ん国になるんじゃないか…という気がして仕方がないンです。いったい日本人ひとり一人の心の中に「日本」という祖国はあるのか、ないのか。あなたは考えたコトありますか?
愛国心というか…別に国粋主義に走るワケじゃないですよ。でもね。自分が今あって、自分が今幸せで満ち足りているのは…それを支えてるのは何か、と。
ボーダーレスの時代とか言うけども、しかし今の世の中はやっぱり「国」が単位なんですよ。だから自分の国があって社会がある、社会があって家庭がある、家庭があって自分がある。そうするとやっぱりね、最小限、自分の国を守るということぐらいの意識がないと、結局は自分も家庭も社会も守れないですよ。
わが国にはそういう認識が引き続き無い、欠けてると思うんですね。
21世紀はアジアの時代だと言われます。アジアの国々はこれから伸びる、と。
伸びる国の人々というのは「自分の国のため」という…いわゆるいい意味でのナショナリズムがみんな強いんですね。その中にあって日本だけが滅びていく。日本だけがナショナリズムを失っている。
21世紀がアジアの世紀になった時には、もはや日本は影が薄い…つまり20世紀の欧米文明といっしょに消え去る運命にあるんじゃないか。僕はやっぱり日本というのはそんな国であってほしくないと願うんだけども。
立派な国を残してこの世を去れないというのは、この世に生きる者としての資格を問われても仕方がないと思っています。
何を教育するか。「1+1=2」なんてのを覚えるのが教育なんじゃなくて…人間、生まれてきた命というのがどんなにかけがえのないもので、大切なものか。
自然の中で生きる、自然とともに生きる…日本というのは太古の昔から自然とともに幸せを求める民族だった。自然の中に溶け込んで人間が栄えて来たのが日本の文化だと思うんです。自然を破壊して人間の幸せを追求するっていうのは、これは悪しき欧米の文化ですよ。
環境問題にしても、自然を破壊しはじめたからこそ起きてくるんで…自分で自分の首を絞めてるわけですよ。だから、もっと自然というものはいかに畏敬すべきものか、畏れ、敬わなければならない。そうした大いなる自然の中で、人間は謙虚に生きていくんだ…そこから、いわゆるヒューマニズムから出発していかないと、本当のナショナリズムは起こらない。
今の「ガイドラインだ、なんだ」って言って…あんな枝葉末節のことでキャンキャン言ってる暇があったら、もうちょっと「われわれ日本人はいったい本当に人間としての資格があるのか」というところから反省しないと…戦後の教育というのは科学技術とか、物質的なものにあまりにも偏りすぎて、心の問題を疎かにしてきたと思うんです。
表面的には「心の教育」とか言ってはいるけども、どうしても教育というとすぐ文部省で「先生→生徒」という図式になってしまう。
やっぱり家庭から始まって、社会から始まってね…。
生まれてきた純真無垢な子供が、神様みたいな子供がね。だんだん歳とともに悪くなって、もう悪魔になって…それからさらにまた歳をとるとボケて、神様になって死んでいくんだけどね。
その真ん中のところ…悪魔の頃を、最初と最後の神様のような美しい心で…そういうものを保って、忘れないでいるようにしないとね。
北野中学の頃に土屋憲三という歴史の先生が、二言目には「歴史は繰り返す」と言って教えてくれたけども、21世紀にまた日本は20世紀と同じような失敗を繰り返すんじゃないかと思うんです。
え? バレエの新作?
あんなものは…書いたって恥をかくばっかりで(笑)。台本書くよりも恥をかくんだから、もう止めたほうがいい。僕もそろそろ静かに神様に戻って行きたいね(笑)。もう悪魔はいいですよ。