科学がいろんな新しいものを開発しても、それを間違って使えば人類を滅ぼしかねない…『5秒前』はそういうことに対する警告だしね。いっぽう『いのち』では、人間の命というのは本当にかけがえのないものなんだ、ということを痛切に訴えたかったわけ。だから、どっちも要するに「生まれてきた以上は上手に平和に楽しく過ごせるような社会をつくるために努力しなきゃいかんのじゃないか」というのが根底にあったように思いますね。
作曲は池辺晋一郎といって…水戸市出身の人でね。大変に才能のある人で、テレビドラマや映画なんかでも随分活躍されていて…あの『影武者』なんかの音楽もみんな彼がやってんですね。今や、超売れっ子で凄く忙しい人ですけどね。僕のバレエは3作とも、この池辺君が作曲してくれたんだ。
で、『いのち』の初演が1975年だったかな。日本でね。
この時のビデオを持ってユーゴスラビアへ行ったんです。そうしたら、ユーゴの音楽関係者なんかと色んな話をしてるうちに「今度来た日本大使はバレエの台本を書くそうだ」というような話になってね。「それじゃあ一体どんなもん書くんか、ぜひ見せて欲しい」ということになって…そのビデオを見せたんですよ。
精子と卵子の結合する経緯から、それが胎児となり、やがて出産、授乳、生育、成長、思春期、恋愛、結婚、子供の成長…。他方、それと並行して夫婦の老化、やがて死…という、ちょっと「輪廻の世界」のような流れを描きながら『無』を訴える、奇妙で風変わりなものだった。
それがね、音楽評論家の大学教授に勧められて「これは面白いから、ザグレブの現代音楽ビエンナーレの初日に上演してみないか」ということになった。
もちろん、民族的にも複雑なユーゴというお国柄もあって、実現までには実にさまざまな紆余曲折を経たけれども…とにかく僕の作品が初めて海外で上演されたのが、ユーゴスラビアだったんです。
これには首府ベオグラードからも多くの人がわざわざザグレブまで見に来てくれてね。まぁ退屈な街だからね。そんな珍しいことは滅多にないから(笑)。
面白かったのは、あるヨーロッパの大使夫人が僕のバレエを見てね。命という人間の根源的なものをテーマにして一種の「無」の思想…すなわち、命というのは無からポッとこの世に来て、それで死んだらまた無に帰る…そういう発想を見て「アンタ、あれだけ大事な命というものを扱いながら、最初から最後まで神様が出てこないのはどういうわけだ?」と言うンだね。
そもそも「無」とか、そういうものには神様は縁がないですよね。キリスト教文化で育った彼らには、人間の哀れな命を救ってくれる神様というものがありながら、神様に救われることもなくただ無に消えていくなんて…何て、はかないんだと思うわけです。
それで僕は、そこに文化の違いというものを強烈に感じて面白かった。文化交流というのは本当に教わることが多いということがわかりましたね。
これはね、ナイル川上流にアスワンハイダムを建造した時に、ダム湖に水没してしまう運命にあったアブシンベル神殿を舞台にしたものでね。ラムセス2世という3500年ぐらい前の王様が、自分と王妃ネフエルタリのために建造したという、実に巨大な歴史遺跡で…。
神殿そのものは、ユネスコが高いところに移築して今も残存してるけれど、僕はバレエの中でそれをね、ナイルの洪水で再び水中に没する…という場面を想像(創造)してやったんだ(笑)。
第一作の『いのち』がちょっと哲学的だったんでね。『動と静』では王様と、戦争した相手の国から貢ぎ物として貰った王女と、王妃とが三角関係になったとかならなかったとか…そういう分かりやすい感じのね(笑)。
これが割合に評判がよくてね。ひょっとしたらこのバレエ、今年またワシントンで上演されるかもしれないんですよ。
というのは、そのバレエ団…スターダンサーズバレエ団っていうんだけど…にね、ワシントンのケネディセンターから「何か新しい、創作バレエのいいのを持ってきてくれよ」っていう依頼があったらしいの。それで「じゃあ、久しぶりに中江さんの『動と静』を持って行きましょうか」ということになったらしい。
今年…ひょっとしたらね。非常に愉しみだな。
「今度の大使は酒を飲まないそうだ」…それで、お世辞上手の中国人から貰った異名が「文化大使」。僕はこの名前が嫌いでね。これは裏を返せば「他に能力のない…政治・経済にはうとい無能大使」という意味が含まれていて。僕は独りでそう僻みながらも、とはいえ何の特長もなく存在感の薄い大使よりはまだマシだ…と苦笑しながら、あえて逆らわずにそれに従ったんだ。
「あなたは行く先々の国でバレエをやっているから、中国でもなんかしなきゃ」って言うんだよね(笑)。僕はそういうオダテに乗りやすい質でね…よせばいいのにさぁ。それで『蕩々たる一衣帯水』という第3作を書いた。
これが大変でね。うっかり引き受けたものの、台本の中にどうしても検閲をパスできない箇所があって。中国では原爆についての評価がまだ確定していないので「黒い灰」の場面は困る…最後の「日の出」の場面も「日の丸」「旭日旗」を連想するので不適当…という具合。この難所を探り当てるだけでも相当の苦労だったんだけど、このおかげで日中関係の微妙な感情のもつれ…みたいなものを学ばせてもらった。
当初より日中合作で上演ということになっていたので、曲も振り付けもダンサーも…すべて両国から出て一緒にやったんです。これは面白かったですけどね。
ダンサーを見てるとね、プロポーションのいいのはみんな中国側のダンサーなんです。ぽちゃぽちゃ〜っとしてるのが日本人で(笑)。
もう、それはすぐに見分けがつくんだ。中国の人は足が長いんだよね。スタイルもいい。ただ…何っていうか情緒の表現となると、やっぱり日本人のほうがきめが細かいね。能狂言と京劇の差というのか…どうしても共産主義の社会で育った人たちっていうのはね…。